区 名 は 区内 に ある 仙台 城 の 雅称 の 「 青葉 城 」 や 「 青葉山 」 に 由来 する 。
また 、 伊達 政 宗 を 祀る 同区 青葉 町 の 青葉 神社 や 仙台 ・ 青葉 まつり など 、 青葉 という 言葉 は 「 仙台 」 を 表す 記号 で も ある 。
公募 を 受け て 選定 し た 仙台 市区 名 選定 委員 会 は 、 方位 は 地名 として とら ず 、 広瀬 は 将来 の 分 区 の 際 の 有力 候補 として 残す べき だ という 理由 を 添え て 、 青葉 区 を 推し た 。
1986 年 ( 昭和 61 年 ) 3 月 、 仙台 市 行政 区画 審議 会 は 「 1 行政 区 当たり 、 概ね 10 万 人 ないし 20 万 人 の 範囲 で 設定 する の が 適当 」 と 答申 し た 。
この ため 、 旧 宮城 町 地域 は 単独 区 に なれ ず 、 旧 仙台 市 北西 部 と共に 青葉 区 を 構成 する こと に なっ た が 、 一方 で 「 旧 町内 の 人口 が 単独 市制 人口 要件 の 5 万 人 に 達し たら 分 区 する 」 という 合併 時 の 取り決め も 存在 し た 。
2010 年 ( 平成 22 年 ) 10 月 1 日 の 国勢調査 に よる と 、 旧 宮城 町 の 人口 は 68 , 002 人 ( 折立 地区 の 人口 約 5 千 人 を 含ん で い ない 値 ) で 、 宮城 県内 の 自治体 の 中 で 名取 市 ( 7 . 3 万 人 ) に 次ぐ 7 番目 相当 、 その他 の 仙台 都市 圏内 の 自治体 の 多賀城 市 ( 6 . 3 万 人 ) 、 塩竈 市 ( 5 . 6 万 人 ) 、 富谷 町 ( 4 . 7 万 人 ) 、 岩沼 市 ( 4 . 4 万 人 ) 、 利府 町 ( 3 . 4 万 人 ) など より 多かっ た 。
青葉 区 を 旧 仙台 市 部分 ( 青葉 区 ) と 旧 宮城 町 部分 ( 新設 区 ) と に 単純 に 線引き し て しまう と 、 南吉成 ( 吉成 土地 区画 整理 事業 。
その 知行 域 を 受け継い だ 旧 名取 郡 生出 村 は 、 折立 地区 とともに 1956 年 ( 昭和 31 年 ) 4 月 1 日 に 仙台 市 に 編入 合併 さ れ た 。
なお 、 折立 地区 は 仙台 宮城 IC ・ 国道 48 号 ( 仙台 西 道路 ・ 愛子 バイパス ) 、 仙台 北 環状 線 ・ 仙台 村田 線 など 、 仙台 西部 の 主要 幹線 が 集まる 交通 の 要衝 で ある 。
また 、 旧 仙台 市 と の 境界 部分 ( 七北田 丘陵 ) を 弧状 に 走る 仙台 北 環状 線 沿い の 南吉成 地区 に も 、 ロードサイドショップ を 中心 と し た 商業 や 人口 の 集積 が ある 。
この よう に 、 折立 地区 が 青葉 区 の 飛び地 に なら ず 一体 的 に 新設 区 に 移行 できる 土壌 が 醸成 さ れ つつ ある が 、 郵便 の 集配 拠点 は 落合 や 郷 六 地区 は 郵便 事業 新 仙台 支店 愛子 集配 センター 管轄 で 、 折立 ・ 西花苑 地区 は 郵便 事業 新 仙台 支店 直轄 と なっ て おり 、 昔 の 名残 が 残っ て いる ( かつて 折立 ・ 西花苑 地区 は 仙台 生出 郵便 局 が 集配 局 で あっ た が 、 宮城 県 の 地域 区分 局 の 変更 と 太白 区 の 集配 局 を すべて 集約 、 一 本 化 し た こと により 、 現在 の 形 に 変更 さ れ て いる ) 。
「 愛子 副 都心 」 構想 と は 、 1987 年 ( 昭和 62 年 ) の 宮城 町 と 仙台 市 と の 合併 建設 計画 、 および 、 1990 年度 ( 平成 2 年度 ) 発表 の 「 仙台 市 総合 計画 2000 」 に 記載 さ れ て い た 副 都心 建設 計画 で ある 。
旧 宮城 町 役場 ( 現 ・ 宮城 総合 支所 ) が ある JR 愛子 駅 周辺 の 再 開発 と 都市 機能 集積 、 および 、 仙台 市営 モノレール 南西 線 計画 を 謳っ て おり 、 旧 泉 市 ( 現 泉 区 ) に対する 泉 中央 副 都心 整備 計画 と 同様 、 合併 の 際 の バーター で あっ た 。
多く の ビル 群 に は 中央 企業 の 仙台 ・ 東北 支店 が 入居 し 、 支店 経済 都市 と 呼ば れる 所以 と なっ て いる 。
仙台 駅前 から 西 方向 へ は 中央 通り ・ 一番町 の アーケード 街 が 形成 さ れ て いる 。
近年 で は 交通 事情 の 改善 から 商圏 は 広がっ て おり 、 県内 は もとより 、 山形 や 福島 から の 客 も 訪れる ( → 仙台 経済 圏 ) 。
高度 成長 期 から 丘陵 部 の 宅地 開発 が 徐々に 進め られ 、 仙台 市 の ベッドタウン として 発展 し 、 泉 市 ( 1971 年 ( 昭和 46 年 ) に 市制 施行 ) の 時代 に 石巻 市 を 抜い て 人口 が 県内 第 2 位 まで 到達 し た 。
1988 年 ( 昭和 63 年 ) 、 仙台 市 に 編入 合併 さ れ 、 1989 年 ( 平成 元年 ) に 仙台 市 の 政令 指定 都市 移行 に 伴い 泉 区 と なっ た 。
中心 部 は 、 江戸 時代 の 奥州 街道 ( 仙台 ・ 松前 道 ) の 宿場 町 ・ 七北田 宿 を 基礎 に 発展 し た 。
泉 市 時代 に その 西側 の 田圃 を 造成 し 、 泉 市役所 や イズミティ 21 など の 施設 が 建設 さ れ た が 、 仙台 市 と 合併 後 の 1992 年 ( 平成 4 年 ) 、 仙台 市営 地下鉄 南北 線 が 泉中央 駅 まで 延伸 さ れ た こと で 大きく 発展 し 、 泉 中央 副 都心 計画 によって 商業 施設 が 集約 し た 。