燕 市 から 西蒲原 郡 中之口 村 、 月潟 村 、 味方 村 、 黒埼 町 と 、 対岸 の 白根 市 から 新潟 市街地 を 結ぶ 重要 な 交通 として 、 沿線 住民 の 足 と なり 、 また 周辺 町村 から は 米 や 野菜 など の 農作物 が 、 燕 から は 金物 ・ 食器 など が 輸送 さ れ 、 沿線 住民 から は 「 電鉄 」 の 愛称 で 親しま れ た 。
新潟 電鉄 は 1943 年 暮れ 、 戦時 統合 により 新潟 合同 自動車 など と 合併 し 、 会社 組織 は 新潟交通 と なっ た 。
1928 年 に 完成 し た 萬代 橋 の 現 橋 は 、 この 電鉄 線 を 新潟 駅前 まで 延伸 する 計画 が あっ た こと から 、 当時 の 道路 橋梁 として は 非常 に 広い 幅員 で 設計 さ れ た 。
その後 1960 年代 を ピーク に 、 国道 8 号 の 白根 市内 の 改良 事業 区間 の 開通 や 新潟 地震 で 被災 し た こと による 長期 運休 、 更に は モータリゼーション の 急速 な 進行 により 利用 者 は 激減 。
かつて の 国道 8 ・ 116 号 で 、 現在 の 新潟 県 道 16 号 新潟 亀田 内野 線 - 新潟 市道 - 新潟 県 道 164 号 白山 停車場 女池 線 に あたる ) を 走行 する 軌道 区間 周辺 の 住民 から は 、 振動 や 騒音 による 公害 や 、 狭隘 な 道路 を 走行 する ため 自動車 の 通行 障害 が 慢性 的 に 発生 する こと が かね て から 指摘 さ れ て い た こと も あり 、 まず この 白山 前 - 東 関屋 間 が 1992 年 に 廃止 さ れ た 。
この 際 に 「 レール & バス システム 」 と 称し て 東 関屋 駅 と 新潟 駅 万 代 口 、 同 南口 を 結ぶ 列車 接続 を 考慮 し た 連絡 バス を 運行 、 電車 線 各駅 や 新潟 駅 前 、 古町 の バス 案内 所 で 乗 継 割引 料金 を 設定 し た 乗車 券 を 発売 する 形 が 執ら れ た 。
残る 東関 屋 - 月潟 間 は 沿線 の 道幅 が 狭隘 で 、 バス で の 代替 が 難しい と 判断 さ れ た こと から 存続 し た ものの 、 利用 者 減少 は 食い止め られ ず 、 更に 新潟 交通 そのもの の 経営 状況 が 一層 悪化 し た こと から ついに 鉄道 事業 から の 撤退 を 決定 。
また 旧 東 関屋 - 東 青山 間 の 関屋 分水 路上 に は 、 新潟 県 道 16 号 新潟 亀田 内野 線 の 関屋 大橋 の 上流 側 に 隣接 する 形 で 電車 線 の 関屋 分水 路 橋梁 が 設け られ て い た 。
新潟 市 など の 沿線 自治体 は 自転車 ・ 歩行 者 道 の 整備 等 に 充てる こと を 目的 に 、 新潟交通 に対し 廃 線 敷 の 無償 譲渡 を 要請 し て き た 。
特に 新潟 市 は 、 黒埼 町 を 編入 合併 し た 際 に 制定 し た 「 合併 建設 計画 」 において 電車 線 の 廃 線 敷 利用 に関し 「 ( 新潟交通 と 廃 線 沿線 の 自治体 による ) 『 新潟交通 電車 線 対策 協議 会 』 の 協議 状況 等 を 踏まえ ながら 検討 する 」 として 、 活用 策 を 検討 する 方針 を 示し て い た 。
この 黒埼 地区 内 の 廃 線 敷 の うち 、 旧 焼 鮒 駅 北側 に ある 新潟 市立 山田 小学校 ( 廃 線 当時 は 黒埼 町 ) は 、 廃 線 敷 を 挟ん で 校 地 が 東西 に 分断 さ れ て おり 、 設備 上 不便 な 点 が 多い こと から 、 市 で は この 敷地 を 取得 し た 上 で 校 地 を 一体化 する こと を 検討 し て いる 。
しかし 慢性 的 な 経営 不振 に 陥っ て いる 新潟 交通 は 、 廃 線 敷 を 不動産 として 活用 する こと を 見込ん で 有償 で の 譲渡 を 主張 し 続け た ため 、 廃 線 敷 の 再 開発 着手 に 目途 が 立た ない 状況 が 長らく 続い て い た 。
だが 鉄道 設備 が 撤去 さ れ て 以降 、 整備 が なさ れ ぬ まま と なっ た 廃 線 敷 で は 雑草 が 繁殖 し たり 一部 で は 不法 投棄 が 行わ れる など し た ため 、 旧 沿線 の 住民 から は かね て から 環境 悪化 を 訴える 声 が 新潟 市 など に 寄せ られ て い た 。
加え て 前述 の 旧東 青山 駅 横 の 新潟 県 道 42 号 新潟 黒埼 インター 線 上 に 架かる 青山 道下 跨 道 橋 や 、 旧 平島 駅 南側 に 架かる 西川 橋梁 など 、 残存 し た 設備 に関して も 老朽 化 など による 安全 性 の 問題 が 指摘 さ れ て い た 。
そこで 新潟 市 は 新潟交通 など が 所有 する 同市 西 区内 の 廃 線 敷 ( 旧東 青山 - 新 大野 間 ・ 総 延長 約 6 . 2 km 、 総 面積 約 3 . 6 ha ) を 有償 で 取得 し た 上 で 自転車 歩行 者 専用 道路 ( 路線 名称 : 新潟 市道 西 5 - 270 号線 ) として 整備 する 方針 を 2009 年 に 固め 、 2010 年度 から 前述 の 橋梁 2 箇所 の 補修 を 皮切り に 順次 各 工程 に 着手 し て おり 、 北側 の 旧 焼 鮒 駅 付近 まで の 約 3 . 0 km 分 を 前期 計画 部分 として 2013 年度 中 に 先行 し て 竣工 さ せる 予定 で 、 この うち 旧 青山 道下 跨 道 橋 周辺 の 区間 は 2012 年 12 月 に 一部 供用 が 開始 さ れ た 。
なお 、 燕 市 ( 小中川 - 燕 ) を 除く 旧 沿線 自治体 は 2005 年 3 月 21 日 まで に 全て 新潟 市 に 編入 合併 し て いる 。
2007 年 4 月 1 日 に 政令 指定 都市 に 移行 し た ため 行政 区 が 設定 さ れ 、 新潟 市 中心 部 ( 白山前 ・ 東関 屋 ) は 中央 区 、 新潟 市 坂井 輪 地区 ( 東青山 - 平島 ) ・ 黒埼 町 ( 寺地 - 板井 ) は 西 区 、 味方 村 ( 七穂 - 千 日 ) ・ 月潟 村 ( 曲 ・ 月潟 ) と 白根 市 は 南 区 、 中之口 村 ( 六 分 ・ 新飯田 ) は 西 蒲 区 の 区域 と なっ て いる 。
新潟 市 中央 区 を 拠点 と する 新潟 商工 会議 所 は 電車 線 廃止 後 の 1999 年 12 月 、 市民 の 利便 性 向上 など を 目的 に 「 21 世紀 に 向け た 新潟 の 街 づくり と 都市 交通 」 と 銘打っ た 提言 書 を 公表 し 、 その 中 で 市内 中心 部 を 発着 する LRT 路線 の 構想 を 示し た 。
この 路線 網 構想 の 中 に は 旧東 関屋 駅 を 起点 と し 、 旧 電車 線 の 廃 線 跡 や 道 の 駅 新潟 ふるさと 村 など を 経由 し て 黒埼 地区 中心 部 に 至る 路線 の 案 も 示さ れ て い た 。
電車 線 の 廃 線 後 、 新潟交通 は 旧 電車 線 に 並行 する 形 で 下記 の 路線 バス を 運行 し て いる ( 2002 年 10 月 1 日 以降 は 子会社 の 新潟交通 西 が 、 さらに 新潟 交通 の 地域 子会社 3 社 が 統合 さ れ た 2007 年 4 月 1 日 以降 は 新潟交通 観光 バス が 運行 を 担当 ) 。