廃 線 から 9 年 が 経過 し た 2013 年 3 月 現在 、 山 線 廃止 区間 は 山間 部 ゆえ に 放置 さ れ た レール が 落ち葉 に 埋もれる など 自然 に 還り つつ ある 部分 も ある が 、 枝下 駅 や 三河 広瀬 駅 など の よう に 駅 が 広場 として 一部 整備 さ れ た 以外 は 駅舎 ・ ホーム ・ レール ・ 鉄橋 ( 矢作川 橋梁 など ) は ほとんど 撤去 さ れ ず に 廃 線 当時 の まま の 姿 が 残っ て いる ( 踏切 部分 は 撤去 ) 。
一方 、 海 線 廃止 区間 は 前述 の 矢作川 橋梁 を 含む レール や 鉄橋 など が ほとんど 撤去 さ れ 、 駅 も 三河 一色 駅 の よう に 駅舎 が 解体 さ れ たり 、 中畑 駅 の よう に 駅 そのもの が 更地 化 さ れる など 、 往時 の 面影 を 偲ば せる もの は 少なく なっ て いる 。
山 線 の 終点 は 西 中金 駅 で あっ た が 、 三河 鉄道 が 当初 足助 まで 延伸 する 計画 を 立て て い た 。
また 、 三河 鉄道 の 子会社 で ある 新 三河 鉄道 が 取得 し て い た 八事 ( 名古屋 市 ) - 挙母 間 の 鉄道 敷設 免許 は 、 会社 の 合併 によって 三河 鉄道 、 名鉄 へ と 引き継が れ 、 紆余曲折 を 経 て 名鉄 豊田 線 として 開業 し た 。
社名 を 三河 鉄道 と する こと 、 軌間 を 762 mm から 1067 mm に する こと を 決議 し た 。
一方 、 1927 年 に 岡崎 電気 軌道 を 合併 し て 岡崎 進出 を 果たし 、 資本 金 は 625 万 円 と なっ て い た が 、 この 時期 の 三河 鉄道 は 路線 延長 や 電化 による 設備 投資 により 多額 の 債務 を 抱え て おり 、 くわえ て 不況 に 見舞わ れる こと に なり 経営 は 苦境 に 立っ て い た { refnest | group =" 注釈 "| 1930 年 時点 の 借入金 は 402 万 円 、 支払 手形 43 万 円 、 未払金 44 万 円 で あっ た 。
1930 年 4 月 に 合併 契約 書 の 調印 に こぎつけ た が 、 愛 電 の 経理 担当 者 が 三河 鉄道 が 粉飾 決算 を し て 利益 を 計上 し て いる こと を 発見 し た ため 大 問題 と なり 、 愛 電 は 合併 契約 破棄 を 宣言 し た 。
1931 年 6 月 の 株主 総会 で 合併 取消 を 決議 し て しまっ た { refnest | group =" 注釈 "| 競争 相手 の 吸収 、 輸送 需要 の 誘発 など 、 三河 鉄道 の 合併 は 愛知 電鉄 側 に も 十分 に メリット が あっ た 。
に も かかわら ず 合併 が 実現 し なかっ た の は 、 愛知 電鉄 側 も 実情 として 豊橋 線 の 高 規格 設備 投資 に 起因 する 経営 危機 が 背景 に あり 、 三河 鉄道 と 合併 する 余裕 が 無かっ た から ともさ れ て いる }}。
平日 朝 のみ 三河 平坂 駅 で の 折り返し や 列車 交換 も 行わ れ て い た 。
元々 は 三河 鉄道 ( 三河線 の 前身 会社 ) の 蒲郡 方面 延長線 として 建設 さ れ た 路線 で 、 同社 が 名古屋 鉄道 に 合併 さ れ た 直後 は この 区間 も 三河線 として 扱わ れ て い た 。
また 、 三河 鉄道 は 三河鳥羽 駅 まで を 1500 V 電化 で 開業 さ せ て い た ものの 、 残る 三河鳥羽 駅 - 蒲郡 駅 間 は 資金 不足 により 非 電化 で 延伸 し た ため 、 同 区間 が 電化 さ れる まで は 三河鳥羽 駅 で 乗り換え を 余儀なく さ れ た 。
西尾 線 の 吉良吉田 駅 ( 初代 ) と 三河線 の 三河 吉田 駅 ( 現 、 吉良吉田 駅 ) と が 1943 年 2 月 に 統合 さ れる と 、 三河 吉田 駅 - 三河鳥羽 駅 間 の 電圧 が 600 V に 降圧 さ れ 、 同じく 600 V 電化 の 西尾 線 と 直通 運転 を 行う よう に なっ た 。
1946 年 10 月 に 三河鳥羽 駅 - 東幡豆 駅 間 、 1947 年 4 月 に 東幡豆 駅 - 蒲郡 駅 間 が 600 V 電化 さ れ 、 1948 年 5 月 16 日 の ダイヤ 改正 で 三河 吉田 駅 - 蒲郡 駅 間 は 「 蒲郡線 」 として 三河線 から 分離 し た 。
長野 県 歌 「 信濃 の 国 」 の 歌い 出し 「 信濃 の 国 は 十 州 に 」 の 「 十 州 」 と は 、 信濃 国 に 隣接 する 10 国 ( 越後 、 越中 、 上野 、 武蔵 、 甲斐 、 駿河 、 遠江 、 三河 、 美濃 、 飛騨 ) の こと で ある 。
愛知 県 東部 、 東 三河 地区 の 中心 都市 ・ 豊橋 市 に 位置 し 、 その 中心 市街地 に 立地 する 駅 で ある 。
新幹線 の 開通 と 、 東 三河 地域 の 工業 開発 により 乗降 客数 の さら なる 増加 が 見込ま れ た こと により 、 1970 年 ( 昭和 45 年 ) 、 駅舎 が 改築 さ れ た 。
なお 、 上記 と は 別に 後世 の 学者 の 研究 書 に は 「 松平 郷 譜代 」 「 岩津 譜代 」 なる 用語 が 散見 さ れる が 、 『 柳営 秘 鑑 』 『 三河 物語 』 いずれ に も これら の 用語 の 記載 は ない 。
廃藩置県 後 、 尾張 国 側 の 名古屋 県 で は なく 、 三河 国 側 の 額田 県 に 所属 し た 。
幡豆 郡 ( はず ぐん ) は 三河 国 の 郡 。