存続 会社 は 新潟交通 観光 バス と なり 、 本社 登記 も 新潟 交通 と 同所 に 移さ れ た 。
本社 が ある 新潟 市 中心 部 の 万代 ・ 八千代 地区 で は 商業 地 万 代 シテイ の 開発 に 携わる など 不動産 業 も 手掛け て おり 、 この 他 新潟 空港 の ターミナル ビル 会社 へ の 出資 や 佐渡汽船 へ の 出資 、 全日空 の 新潟 地区 総 代理 店 ならびに 日本航空 の 新潟 地区 代理 店 として 市内 ・ 空港 業務 を 受託 する など 、 県内 の 公共 交通 網 の 中軸 的 な 役割 を 果たし て いる 。
また 、 かつて は 燕 市 から 新潟 市 中心 部 に 至る 鉄道 路線 も 運営 し て い た が 、 1999 年 4 月 に 廃 線 と なっ た ( 新潟交通 電車 線 を 参照 ) 。
また 、 前述 の よう に 新潟 市 周辺 で は 公共 交通 網 の 脆弱 化 が 著しい こと など から 、 新潟 市 は 2007 年 に オムニバス タウン の 指定 を 受け 、 新潟交通 グループ と 共同 で バス の 運行 環境 改善 と 公共 交通 軸 の 形成 に 向け た 取り組み を 行っ て いる 。
新車 の 大型 路線 車 ( 一般 路線 車 ・ 高速 車 とも ) は 一部 の 例外 を 除き 、 まず 新潟 交通 の 旧 新潟 市 域内 に 所在 する 各 営業 所 へ 配属 さ れ 、 導入 から 約 10 年 を 経過 する と 、 子会社 の 新潟交通 観光 バス や 新潟交通 佐渡 の 各 営業 所 へ 転属 さ れる 。
こうした こと から 、 新潟 市 の 旧 市域 を 運行 する 路線 に は 高年 式 の 車両 が 、 編入 市域 や 下越 ・ 佐渡 など 子会社 が 運行 する 路線 に は 、 新潟交通 本体 から 転属 し た 車両 が 運行 に 充当 さ れ て いる 。
この 車両 は 北村 製作所 の 大型 バス 用 車体 として は 初 に し て 唯一 の スケルトン 構造 で あり 、 新潟 交通 に は 1985 年 から 1988 年 にかけて 合計 100 台 が 導入 さ れ た 。
この 車体 は 新潟交通 以外 の 事業 者 で は 頸城自動車 に P - LT 312 J が 路線 バス 用 に 1 台 、 日本赤十字社 新潟 県 支部 に 献血 車 用 として 数 台 が 納入 さ れ た のみ で 、 納車 先 は ほとんど が 新潟 県内 で あっ た 。
なお 最後 の 1 台 は 「 新潟 生まれ ・ 新潟 育ち 」 という 車両 そのもの の 希少 性 が 評価 さ れ 、 また 長年 の 労苦 を 労う ため 、 新潟 市 は 新潟交通 から 車両 の 譲渡 を 受け て 静態 保存 する こと に なり 、 同市 中央 区 の 鳥屋野 交通 公園 内 で 2012 年 7 月 21 日 から 一般 公開 を 開始 し た 。
銀 バス の 塗装 は 、 新潟 交通 の 前身 の 一つ で ある 新潟 合同 自動車 が 発足 し た 1932 年 頃 から 使用 さ れ て いる もの で 、 かつて は ボディ 全体 が 銀色 で あっ た 。
これ は 日本海 に 沈む 夕日 を イメージ し た もの で 、 且つ 新潟 市 で 1922 年 に 初めて 本格 的 に 運行 を 開始 し 、 通称 「 赤 バス 」 と 呼ば れ た 当時 の 路線 バス の 車体 に も 因ん だ もの で ある 。
ノン ステップ バス は その後 しばらく 新規 投入 さ れ なかっ た が 、 2007 年 、 新潟 市 が オムニバス タウン に 指定 さ れ た の に 伴っ て 同年 秋 から 新型 車両 が 大量 に 投入 さ れ た 。
同年 投入 の ノン ステップ 車 の 塗 色 に は 上記 の 「 銀 バス 」 塗装 ( 車体 後部 に 新潟 市 の シンボルマーク と 「 オムニバス タウン に い がた 」 の ロゴ が 入る ) の 他 、 オレンジ 色 を 基調 と し た グラデーション に 白鳥 が 飛び 行く 姿 を 模 し た 「 に い がた 基幹 バス 」 ( 中央 循環 線 ・ 市民 病院 線 ) 専用 塗装 の 2 種類 が ある 。
但し 専用 塗装 と は いえ 、 新潟 南部 営業 所 管内 の 長潟 線 ・ 女池 線 ・ 鳥屋野 線 を 中心 に 他 路線 も 含め 広範囲 に 運用 さ れ て いる 。
現在 で は 新潟 市 中心 部 の 路線 車 について は 、 新車 を 積極 的 に 投入 する よう に なっ て いる ものの 、 かつて は 設備 の 近代 化 の 面 において は 立ち遅れ た 面 が 多く 、 路線 車 の 冷房 化 が 本格 的 に 進め られ た の は 1984 年 、 新潟 駅 前 ~ 西小 針 ~ 内野 ・ 新潟大学 線 ( 西小 針 線 ) に 、 県内 で 初めて 都市 新 バス システム が 導入 さ れ た の が きっかけ だっ た ( バス ロケ に 対応 できる 冷房 付き の 新型 車両 に は 当時 「 銀 太郎 」 という 愛称 が 付与 さ れ て い た ) 。
現在 、 新潟 県内 の 路線 バス の うち 、 前述 の バス停 設置 型 の 無線 式 バス ロケ を 導入 し て いる の は 西 小針 線 と 、 市役所前 ・ 新潟 駅 前 ~ 下山 ~ 松浜 ~ 北部 営業 所 ・ 太郎代 浜 線 ( 松浜 線 ・ 太夫浜 線 ) の 2 路線 のみ に とどまっ て いる 。
バス停 設置 型 の バス ロケ は 導入 ・ 維持 管理 とも コスト が 膨大 で ある 事 が 大きな ネック と なり 、 この 2 路線 以外 へ の 導入 は 進め られ なかっ た が 、 新潟交通 グループ は 代替 策 として 国土 交通省 など と 共同 で GPS と インターネット による バスロケーションシステム 「 に い がた バス - i 」 の 導入 を 進め て おり 、 旧 新潟 市域 の 49 路線 について は 2007 年 3 月末 に 対応 を 完了 、 大野 白根 線 について も 急行 バス に 限り 対応 し て いる 。
白い ボディ は 「 雪 」 を 、 緑 と 茶色 は 新潟 名産 「 笹 団子 」 の 草餅 と 餡 を それぞれ 指し て いる と あっ た が 、 2014 / 12 / 06 放送 の 八千代 コースター で の インタビュー で 、 実際 は 白 は [ 雪 ] を 、 緑 は [ 越後平野 ] を 、 茶色 は [ 以前 の 車体 が 茶色 だっ た ため の 名残 ] という こと が 明らか と なっ た 。
この 塗装 は 1978 年 に 北陸 自動車 道 の 県内 一部 区間 ( 新潟 黒埼 IC ~ 長岡 IC 間 ) が 開通 し た の を 機 に 採用 さ れ て 以来 、 現在 に 至る まで 使用 さ れ て いる 。
例えば 、 いすゞ 製 の 車両 で 、 ナンバー が 「 新潟 200 か 12 - 34 」 の 場合 、 車 番 は 「 H 1234 - I 」 と なる 。