しかし 永 禄 6 年 ( 1563 年 ) 、 三河 一向 一揆 が 起こる と 、 一揆 方 の 武将 として 弟 と共に 家康 に 敵対 し た 。
『 三河 物語 』 で は 、 関ヶ原 で の 秀忠 による 上田 城 攻撃 の とき 、 正信 は 攻撃 中止 を 進言 し なかっ た と さ れ て いる 。
この よう に 、 三河 物語 で は 正信 は 悪役 として 描か れ て いる こと が 多い 。
三河 国吉田 城主 の 池田 輝政 など 、 この 時期 に 一豊 と たびたび 接触 し て おり 、 なんらかの 打ち合わせ を し て い た と 考え られる 。
講談 、 浪曲 『 藤堂 高虎 、 出世 の 白 餅 』 で は 、 阿 閉氏 の 元 を 出奔 し 浪人 生活 を 送っ て い た 若き 日 の 高 虎 ( 当時 は 与右衛門 ) が 空腹 の あまり 、 三河 吉田 宿 ( 現 ・ 豊橋 市 ) の 吉田 屋 という 餅屋 で 三河 餅 を 無銭 飲食 し 、 その こと を 店主 の 吉 田屋 彦兵衛 に 正直 に 白状 し て 謝罪 し た 。
その ため 戦後 の 同年 9 月 、 三河 国 の 内 、 渥美 ・ 宝飯 ・ 八 名 ・ 設楽 4 郡 ( 東 三 河 ) において 15 万 2000 石 に 加増 さ れ 、 吉田 城主 と なっ た 。
都営 化 後 三河 島 二 丁目 停留 場 に 改称 。
1913 年 4 月 1 日 に 三河 島 停留 場 として 開業 ( JR 東日本 常磐 線 に ある 三 河島 駅 と は 別 ) 。
都営 化 後 三河 島 八 丁目 停留 場 へ の 改称 を 経 て 、 住居 表示 に ともない 現 停留 場 名 に 改称 。
なお 武田 家 の 勢力 が 三河 ・ 遠江 から 大きく 後退 し 、 昌幸 の 岳父 ・ 尾藤 頼 忠 は 兄 の 尾藤 知 宣 が 羽柴 秀吉 の 家臣 と なっ て い た の を 頼っ て 近江 に 行き 秀吉 の 弟 ・ 秀長 の 家臣 と なっ て いる 。
その後 駿府 を 占領 し た 武田 氏 に対し 相模 国 の 北条 氏 ・ 三河 国 の 徳川 氏 が 今川 救援 の ため に 出兵 する と 、 同年 4 月 に 武田 方 は 一時 甲斐 へ 撤兵 する 。
しかし 、 家康 と 違い 家臣 が 少なく 、 『 三河 物語 』 に よる と 、 金品 を 多く 持っ て い た 信 君 一 行 は 、 家康 従者 に 強奪 さ れる こと を 恐れ て 距離 を かなり 置き 、 別 行動 を とっ た 結果 、 山城 国 綴喜 郡 の 現在 の 木津川 河畔 ( 現在 の 京都 府 京田辺 市 の 山城 大橋 近く ) で 落ち武者 狩り の 百姓 勢 に 追いつか れ 襲撃 さ れ て 殺害 さ れ た 。
西上 作戦 で は 信長 の 同盟 国 で ある 三河 国 の 徳川 家康 の 領国 で ある 三河 ・ 遠江 へ の 侵攻 を 行い 、 同年 12 月 に は 徳川 方 と の 三 方 ヶ 原 の 戦い が 発生 する 。
三方 ヶ 原 において 武田 氏 が 投石 隊 を 率い た と する 逸話 は 『 信長 公 記 』 や 『 三河 物語 』 において 記さ れ て いる が 信 茂 が 率い た と する 史料 は 見 られ ず 、 近世 ・ 近代 期 の 戦史 資料 において 誤読 さ れ 、 信 茂 が 投石 隊 を 率い た と する 俗説 が 成立 し た と 考え られ て いる 。
信玄 の 死後 、 織田 信長 ・ 徳川 家康 は 攻勢 を 強め 、 元 亀 4 年 7 月 に 家康 は 三河 国 長篠城 ( 愛知 県 新城 市 ) 攻め を 開始 し 、 勝頼 は これ に対して 後詰 を 派遣 する 。
同年 8 月 に は 三河 国作 手 の 国 衆 ・ 奥平 氏 が 離反 し 、 同年 9 月 に 長篠城 は 落城 する 。
天正 3 年 ( 1575 年 ) 4 月 に 勝頼 は 反攻 を 開始 し 、 三河 足助 城 ( 愛知 県 豊田 市 ) 攻め を 行う 。
『 三河 物語 』 で は 小山田 八 左衛門 が 登場 し 、 勝頼 が 郡 内 領 へ 逃れる 途中 に 八 左衛門 を 信 茂 の もと に 派遣 し た が 帰還 せ ず 、 信 茂 離反 を 知っ た と いう 。
生年 に は 諸説 ある が 、 天文 9 年 ( 1540 年 ) 以前 の 業績 について は 同じ 三河 守 を 名乗っ た 父 ・ 弘中 興勝 の 業績 と 混同 する 史書 や 歴史 家 も 多い 。
天文 8 年 ( 1539 年 ) 、 松平 氏 の 家臣 ・ 鳥居 忠吉 の 3 男 として 三河 碧海 郡 渡 郷 ( 愛知 県 岡崎 市 渡 町 ) に 生まれる 。