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1420 年 に 「 書契 による 統制 」 が 定め られる と 対馬 中小 勢力 は 自己 名義 による 朝鮮 通交 を 禁止 さ れ 、 盛 から 書契 を 受け 名義 借り 通交 を 行う こと を 強い られ た 。

1434 年 に 盛 は 名義 貸し の 実態 を 朝鮮 王朝 に 伝え 、 自身 の 通交 と 名義 貸し 通交 で は 書契 における 印章 の 位置 を 押し分ける ので 両者 を 区別 し て 扱う よう 要請 し て 認め られ て おり 、 この 名義 貸し 通交 は 朝鮮 王朝 の 了承 を 得 た もの で あっ た [ 長 節子 1987 、 164 ~ 168 頁 ] [ 荒木 和憲 2007 、 90 頁 ] [ 伊藤 幸司 2005 、 116 頁 ]。

しかし 「 書契 による 統制 」 で は 盛 以外 の 複数 の 対馬 内 有力 者 に も 書契 発行 権 が 認め られ て おり 、 また 盛 名義 の 書契 を 偽造 し 通交 する 偽 使 も 出現 する 等 [ 荒木 和憲 2007 、 64 頁 ]、 宗 氏 が 領国 支配 を 推し進める 上 で は 不徹底 な もの で あっ た [ 長 節子 1987 ] [ 荒木 和憲 2007 、 134 頁 ]。

盛 は 統制 力 の さら なる 強化 を 目指し 1426 年 に 文 引制 を 朝鮮 王朝 に 提案 する 。

また 文 引制 導入 後 に 通交 使節 の 審査 が 厳格 に 行わ れる よう に なっ た 結果 、 宗 盛 ・ 盛 国 ・ 茂 直 ( 仁井 中村 宗 氏 ) の 名 を 騙る 偽 使 が 相次い で 摘発 さ れ て いる 。

1452 年 に 朝鮮 王朝 に 協力 的 で あっ た 盛 が 没し 成 職 が 跡 を 継ぐ と 、 1453 年 より 深 処 倭 名義 の 通交 が 急増 し 1455 年 に は 朝鮮 を 訪れ た 使送 倭人 は 6 千 人 を 超える [ 村井 章介 1993 、 32 頁 ] [ 長 節子 2002 、 284 頁 ]。

17 世紀 末 に 編纂 さ れ た 『 系図 外聞 書記 』 に 国 が 通交 権 を 買い求め た と する 伝承 が 残さ れ て いる こと から 、 通交 権 の 対馬 集中 は 成 職 ・ 国 の 代 に 進ん だ と み られる [ 長 節子 1987 、 264 ~ 266 頁 ]。

当初 は これ を 受け入れ て い た 朝鮮 王朝 が 祝賀 使 通交 の 制限 に 転じる と 、 残り の 祝賀 使 達 は 国 の 請状 を 受ける こと で 通交 を 強行 し た 。

しかし こうした 関係 は 宗 国 の 博多 進駐 によって 転換期 を 迎える 。

1469 年 、 国 は 義政 に 応じ 、 少 弐頼 忠 を 奉じ て 筑前 へ 出陣 し 大宰府 を 回復 する [ 長 節子 1987 、 23 頁 ]。

しかし 筑前 出兵 中 に 国 と 頼 忠 が 不仲 に なっ た こと から 、 国 は 1471 年 に 対馬 へ 帰 島 し て しまう 。

海 東 諸国 紀 に 拠る と 、 両者 の 不和 の 原因 は 頼 忠 が 肥前 千葉 氏 の 内訌 に 介入 し 、 強いて 国 に 出兵 さ せ た 結果 大雪 の ため 大敗 を 喫し た こと に ある と さ れ て いる 。

国 帰 島後 も 宗 氏 は 軍勢 の 一部 を 北九州 に 残留 さ せ て い た が 、 大内 政弘 が 国 抱き 込み を 図っ た こと により 宗 氏 と 少 弐氏 の 関係 は 終わる 。

1477 年 の 応仁 ・ 文明 の 乱 の 終結 を 受け 、 政弘 は 本国 に 帰国 し 少 弐氏 と 対決 する が 、 政弘 は 国 と 頼 忠 の 不和 を 聞き 知り 幕府 を通じて 国 の 抱き込み を 行っ た の で ある 。

その 結果 78 年 に 政弘 が 攻勢 を かけ た 際 も 国 は 頼 忠 に 援軍 を 送ら ず 、 頼 忠 は 敗れ 肥前 へ 逃亡 し 、 少 弐氏 と 宗 氏 の 断絶 は 決定的 と なる 。

この 国 の 博多 出兵 は 、 宗 氏 と 博多 商人 の 提携 、 偽 使 通交 権 の 分裂 、 宗 氏 と 大内 氏 の 接近 、 といった 影響 を 残す こと に なる 。

筑前 出兵 の 最中 国 は 博多 近辺 に 駐屯 し て おり 、 その間 に 宗 氏 と 博多 商人 の 提携 が なさ れ た [ 橋本 雄 2005 、 159 ~ 165 頁 ]。

また それ 以外 に も 、 宗 金 の 孫 宗 茂信 は 国 の 協力 によって 受職 人 と なっ た 他 、 宗 氏 名義 の 通交 を 博多 商人 が 請負う など 、 博多 商人 は 宗 氏 と 密接 な 関係 を 築い て いっ た [ 伊藤 幸司 2005 、 134 頁 ]。

国 博多 駐屯 時 、 当主 が 対馬 を 離れ た こと で 偽 使 通交 権 に 分裂 が 見 られ た 。

国 の 筑前 出兵 中 は 守護 代 で ある 宗 盛 直 ・ 宗 職 盛 父子 が 文 引 発行 権 を 掌握 し て い た が 、 彼等 、 あるいは その 後援 を 受け た 対馬 残留 組 の 何者 か が 九州 出兵 組 の 持つ 偽 使 通交 権 を 乗っ取り 、 「 偽 使 の 偽 使 」 を 派遣 し た の で ある 。