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父 と 同様 、 茂 も 長崎 における 実力 者 と なり 、 着任 し て も 情況 が 分ら ず 「 煙 に 取巻か れ て いる 」 有様 で あっ た 長崎 奉行 は 、 前任 の 奉行 や 茂 の 報告 を 元 に し て 万事 行う の が 常 と なっ た 。

クーケバッケル にとって 、 茂 は 信頼 す べき 友人 と なっ て おり 、 幕府 高官 たち の 好意 を 得る ため に 彼ら から の 注文 品 は できるだけ 調達 する よう 命じる と 同時に 、 特に 茂 の 指示 に は 従う よう に 命じ て も いる 。

寛永 14 年 ( 1637 年 ) に は 茂 から の 「 日本 の 慣習 に 不慣れ な 新任 者 で は 今後 の 幕府 と の 交渉 は 乗り切れ ない だろ う から 、 カピタン または 商務 員 の 2 人 の うち 1 人 に 日本 に 留まる べき 」 と の 勧告 に従い 、 フランソワ ・ カロン を 後任 の 商館 長 に 任命 し て いる 。

は 海外 貿易 において は オランダ 商館 の 有力 な 取引 相手 で 、 生糸 を 寛永 12 年 ( 1635 年 ) に は 3000 斤 、 翌 13 年 ( 1636 年 ) に は 5000 斤 購入 し て おり 、 これ は 個人 として 最大 の 取引 高 で 、 平戸 藩主 の それ と 並ぶ ほど の 額 で あっ た 。

父 の 政直 と は 違っ て 茂 は オランダ 人 にとって よき 協力 者 と なり 、 オランダ 人 の 輸入 生糸 の 価格 設定 に も 彼ら の 有利 に なる よう 働きかけ たり 、 長崎 奉行 に オランダ 人 の 悪評 が 届か ない よう 計らっ たり し た 。

その ため 、 オランダ 商館 側 は 日本 の 商人 から 金 を 借り入れる こと に なっ た が 、 一番 有力 な 借入 先 が 茂 で あっ た 。

彼 は ポルトガル 人 に対して も 資金 貸付 を し て おり 、 「 ポルトガル 人 の 力 に なっ て くれる の は 彼ら の ため に 多大 な 尽力 を し て くれ た 茂 以外 に は い ない 」 と 言わ れ 、 「 マカオ 市 の 代理人 ( ブロクラドール ) 」 と まで 呼ば れ て い た 。

自ら も 朱印船 貿易 家 として 活動 し た 茂 は 、 寛永 8 年 ( 1631 年 ) に は 長崎 奉行 竹中 采女 正 宛 の 奉書 を 得 て 、 東京 ( トンキン ) に 向け て 初 の 奉書 船 を 送り出し て いる 。

寛永 14 年 に 島原 の 乱 が 発生 し た 時 、 クーケバッケル は まず 茂 に 手紙 を 送り 、 彼 を通して 長崎 奉行 に 、 乱 の 鎮圧 の 協力 を 申し出 た 。

しかし 、 茂 は その 申し出 が 遅かっ た として 、 使者 として 訪れ た 当時 の 商館 次席 フランソワ・カロン を 非難 し た 。

この 後 、 カロン は 茂 の 勧め に従い 、 長崎 奉行 宛 の 手紙 で 命令 さえ あれ ば いつ でも 大砲 と 火薬 は いつ で も 送る と 約束 し て いる 。

乱 の 鎮圧 後 、 上使 として 下向 し て き た 老中 松平 信綱 は 、 茂 以下 大勢 の 者 を 伴っ て 平戸 に 赴き 、 オランダ 商館 を 検分 し た 。

末次 家 の 菩提寺 で ある 華 嶽山 春 徳 寺 を 建立 し た の は 茂 で ある 。

長崎 代官 は 外 町 を 支配 し て おり 、 初代 代官 の 村山 等 安 が 処刑 さ れ た 後 、 末次 家 が 代 官職 を 任さ れ 、 末次 平蔵 政直 ・ 末次 茂 ・ 末次 茂 房 と 世襲 さ れ た 。

編纂 に は 本木 の 他 、 通詞 の 馬場 歴 、 末永 祥 守 、 楢 林 高美 、 吉雄 永 保 ら が 当たっ た 。

なお 棟 庵 の 姪 ・ 小 百 合 は 官僚 の 木場 長 に 嫁い で いる 。

越前 国 で 青山 の 子 として 生まれる 。

再建 派 の 主要 な 論者 は 黒川 真頼 、 小杉 榲邨 ( こすぎ すぎ むら ) 、 喜田 吉 ら 、 非 再建 派 は 建築 史 の 関野 、 美術 史 の 平子 鐸嶺 ( ひらこ たく れい ) ら で あっ た 。

非 再建 論 の 主 な 論拠 は 建築 史上 の 様式 論 で あり 、 関野 の 「 一つ の 時代 に は 一つ の 様式 が 対応 する 」 という 信念 が 基底 に あっ た 。

兄 は 木脇 祐吉 ( 祐 とも ) 。