仙台 藩 は 安政 2 年 ( 1855 年 ) 以降 、 蝦夷 地 において 、 白老 から 択捉 まで の 東 蝦夷 地 の 警衛 を 任さ れ て おり 、 安政 6 年 ( 1859 年 ) に は 白老 、 十勝 、 厚岸 、 国後 、 択捉 を 所領 し 、 仙台 藩 の 領地 ・ 警衛 地 は 併せ て 北海道 の 全 面積 の 約 3 分の 1 を 占め た 。
仙台 藩 の 主導 で 奥羽 越 列藩 同盟 が 結成 さ れる と 、 北部 政府 ( 同盟 政府 ) の 支配 域 は 東北 地方 ・ 北海道 ・ 新潟 県 下越 ・ 中越 に 及ん だ 。
会津 藩 が 若松 城 に 篭城 する 一方 で 、 仙台 藩 は 北上 する 薩長 軍 と 相馬 口 駒ヶ嶺 付近 で 戦っ た が 、 中村 藩 の 降伏 により 戦線 を 維持 でき なく なる と 、 仙台 藩 も 降伏 し た 。
敗戦 後 、 明治 政府 より 責任 を 問わ れ 、 仙台 藩 は 表高 62 万 石 から 実 高 28 万 石 に 減 封 さ れる 。
この 減 封 に際して 仙台 藩 は 、 在郷 家臣 ら に 帰農 を 命じ 、 陪臣 ( 主として 万 石 級 の 領主 の 家来 20 , 000 人 余 ) を 解雇 し て 士族 籍 を 与え なかっ た 。
仙台 藩 直営 の 事業 として は 、 分 領 として 与え られ た 沙流 郡 を 三好 清 篤 ・ 星 恂 太郎 が 開拓 し た もの が ある 。
また 、 城下町 ・ 仙台 で は 、 侍 町 だっ た 東 一番丁 で 没落 士族 たち が 商売 を 始め 、 これ が 現在 の 中心 商業 地 「 一番町 」 へ と 繋がっ て いく 。
仙台 藩 の 主要 施設 は 新 政府 に 接収 さ れ た 。
仙台 城 二の丸 に 東北 鎮台 ( 後 、 仙台 鎮台 → 陸軍 第 二 師団 ) が 置か れ 、 三の丸 は 錬 兵 場 に なっ た 。
1869 年 1 月 19 日 ( 明治 元年 12 月 7 日 ) に 陸奥 国 が 5 分割 さ れ た ため 、 仙台 藩 陸奥 国領 は 陸 中国 ・ 陸前 国 ・ 磐城 国 に 渡る こと に なっ た が 、 戊辰戦争 に 敗れ た 仙台 藩 は 同日 62 万 石 から 28 万 石 に 減 封 さ れ 、 陸前 国 より さらに 狭い 現 ・ 宮城 県 中部 を 占める のみ と なっ た ( 箱 館 戦争 終結 前 だ が 仙台 藩 蝦夷 地領 も 失っ た と 見 られる ) 。
1871 年 8 月 29 日 ( 明治 4 年 7 月 14 日 ) の 廃藩置県 により 、 仙台 藩 が 廃止 さ れ 、 同じ 領域 に 仙台 県 が 置か れ た 。
廃 藩 時 の 仙台 藩 の 債務 は 、 国内 に 110 万 8000 円 余り 、 国外 に 約 11 万 8000 円 。
政府 は 国内 の 債務 の 大 部分 と 対外 債務 の 一部 を 破棄 し 、 一部 を かつて 仙台 藩 の 蔵元 を 務め た 豪商 升屋 に 払わ せる こと と し 、 残り を 政府 が 公債 として 引き受け た 。
これ によって 、 仙台 藩 は 、 仙台 県 ・ 角田 県 ・ 登米 県 ・ 胆沢 県 に 分かれ た 。
最終 的 に 、 旧 仙台 藩 の 北部 ( 現在 の 岩手 県 の 北上 市 から 南 の 地域 、 沿岸 で は 気仙 郡 ) は 岩手 県 に 組み込ま れ 、 現在 の 新地 町 は 福島 県 に 編入 さ れ 、 その他 の ほとんど の 部分 が 宮城 県 へ と なっ て いく 。
同年 6 月 10 日 ( 明治 4 年 4 月 23 日 ) に 石巻 県 石巻 に 置か れ た 東山 道 鎮台 本営 が 、 同年 10 月 4 日 ( 明治 4 年 8 月 20 日 ) に 廃止 さ れ 、 代わり に 東北 鎮台 本営 が 仙台 に 置か れる こと に なっ た 。
同年 12 月 12 日 ( 明治 4 年 11 月 1 日 ) 、 当時 の 仙台 の 中心 部 で ある 国分 町 の 元 外人 屋 に 東北 鎮台 の 本営 が 仮設 さ れ た 。
仙台 藩 の 主 な 産物 は 米 で ある 。
萱場 木工 の 『 古伝 密 要 』 に よる と 、 大 凶作 で ない 限り 仙台 藩 は 毎年 約 25 万 ~ 30 万 石 の 米 ・ 農産物 ( 主 に 大豆 ) を 輸出 し て い た が 、 この 内 10 万 石 は 江戸 以外 の 地 へ 輸出 さ れる 「 脱 石 」 と なり 、 また 南部 藩 から 輸入 さ れ た 「 北米 」 5 万 石 を 加え 、 石巻 より 江戸 へ 毎年 約 20 万 ~ 25 万 石 の 米 ・ 農産物 が 輸送 さ れ た 。
この 内 、 江戸 で の 登米 や 役 米 を 除く 約 半分 の 10 万 石 が 「 仙台 米 」 として 江戸 に 流通 し た と いう 。