この ため 登米 家 は 存続 の 危機 に 陥っ た が 、 翌 寛永 7 年 ( 1630 年 ) に 政 宗 は 白石 氏 から 伊達 姓 を 剥奪 し 、 家格 を 一家 に 降格 する こと で この 一 件 を 落着 さ せ 、 宗 貞 に 父 の 遺 領 15 , 000 石 の 相続 を 許し た 。
寛永 17 年 ( 1640 年 ) 、 藩主 伊達 忠 宗 は 男子 の い なかっ た 宗 貞 に対し 、 白石 氏 に 再び 伊達 姓 の 名乗り を 許す かわり に 自ら の 四男 ・ 五郎 吉 を 婿養子 に 迎え て 隠居 する よう 命じる 。
宗 貞 に は 隠居 領 として 登米 領 から 遠田 郡 米岡 ( 現 : 登米 市 米山 町 西野 ) 3 , 000 石 を 分与 さ れ 、 白石 の 氏 に 復し た 宗 貞 に は 改めて 一家 の 家格 が 与え られ た 。
登米 伊達 氏 の 菩提寺 で ある 寺池 の 養 雲 寺 と 隠居 領 の 米岡 の 長源寺 に 、 それぞれ 宗 貞 の 墓 が ある 。
同 委員 会 は 同年 11 月 25 日 に 新た な 美術館 が 必要 で ある 旨 を 広瀬 勝 貞 知事 に 答申 。
寛文 13 年 ( 1673 年 ) に 元服 し 、 陸奥 仙台 藩主 の 伊達 綱 基 ( のち の 綱村 ) より 一文字 拝領 し て 数馬 基 貞 ( もと さ だ ) と 名乗る 。
東北 地方 から 房総 沖 にかけて の 日本 海溝 沿い で は 、 869 年 に 発生 し た 貞 観 地震 が 記録 に 残る 最も 古い 地震 で ある 。
中でも 最も 注目 さ れ た の が 869 年 の 貞 観 地震 で あっ た 。
貞 観 地震 について は 、 六 国史 の 日本 三 代 実録 に 陸奥 国 で 大 地震 が 発生 し 、 巨大 な 津波 が 押し寄せ た こと が 記さ れ て おり 、 早く も 1906 年 に は 「 歴史 地理 第 8 巻 第 12 号 」 に 、 吉田 東伍 による 論文 が 発表 さ れ た 。
吉田 は 日本 三 代 実録 の 記述 を 詳細 に 分析 、 検討 し 、 貞 観 地震 が 陸奥 国 に 極めて 大きな 被害 を もたらし た こと を 明らか に する とともに 、 貞 観 地震 の 真 の 姿 を 知る ため に 更 なる 研究 の 必要 性 を 訴え た 。
しかし その後 貞 観 地震 について の 研究 は なかなか 進ま なかっ た 。
事態 が 変化 し た の は 1987 年 、 仙台 市 若林 区 荒浜 で 貞 観 地震 の もの と 考え られる 津波 堆積 物 が 検出 さ れ た 後 の こと で あり 、 吉田 の 指摘 から 80 年 以上 が 経過 し て い た 。
1990 年 に は 仙台平野 で 検出 さ れ た 津波 堆積 物 の 内容 から 、 貞 観 地震 の 際 、 仙台平野 に 2 . 5 - 3 メートル 程度 の 津波 が 押し寄せ た と の 研究 が 発表 さ れ 、 その後 2002 年 から 2009 年 にかけて 地震 調査 研究 推進 本部 による 津波 堆積 物 調査 が 行わ れる など 、 2000 年代 に 入っ て 貞 観 地震 による 津波 によって 形成 さ れ た 津波 堆積 物 など の 研究 、 分析 が 進み 、 東北 地方 太平洋 沿岸 の 広い 地域 に 津波 が 押し寄せ て い た 実態 が 明らか に なっ て き た 。
また 貞 観 地震 以外 の 津波 堆積 物 も 検出 さ れ 、 東北 地方 太平洋 沿岸 に は 数 百 年 - 千 年 程度 の スパン で 巨大 な 津波 が 押し寄せ て い た こと も 明らか に なっ て き て い た 。
これら 最近 の 研究 成果 を 踏まえ 、 地震 調査 研究 本部 の 地震 調査 委員 会 で は 貞 観 地震 など 過去 に 東北 地方 太平洋 沿岸 を 襲っ た と 考え られる 巨大 地震 を 考慮 に 入れ た 地震 予測 の 更新 を 検討 し て い た が 、 その 結論 を 待た ず し て 東北 地方 太平洋 沖 地震 が 発生 し て しまっ た 。
また プレート 境界 の やや 深い 部分 の すべり による 第 一 波 は 、 波長 が 長い ゆるやか な 海面 変化 を 引き起こし 、 仙台平野 や 石巻平野 の よう な 平野 部 を 数 キロ に 渡っ て 浸水 さ せ た 津波 と なり 、 これ は 9 世紀 に 仙台平野 や 石巻平野 を 広範囲 に 水没 さ せ た 貞 観 地震 による 津波 による 津波 に 類似 し て おり 、 短 周期 で 高い 波高 を 持っ た 第 二 波 は 、 1896 年 の 明治 三陸 地震 による 津波 の よう に 、 三陸 沿岸 に 高い ところ で 30 メートル を 越える 極めて 波高 の 高い 津波 と なっ て 押し寄せ た 。
つまり 東北 地方 太平洋 沖 地震 で は 、 波長 が 長く ゆるやか な 水位 上昇 で 平野 部 奥深く まで 浸水 さ せ た 貞 観 地震 タイプ の 津波 と 、 短い 波長 で 急速 かつ 高い 海面 上昇 を もたらす 明治 三陸 地震 津波 の 両方 の 性質 を 持っ た 津波 が 発生 し 、 三陸海岸 ばかり で は なく 、 仙台平野 など 平野 部 で も 甚大 な 被害 を もたらし た 津波 と なっ た 。
嫡男 伊 周 は 内大臣 、 その 弟 の 隆 家 は 参議 、 庶長 子道 頼 は 権 大納言 に 任 ぜ られ 、 娘 の 定子 は 一条天皇 の 中宮 、 同じく 原子 は 東 宮居 貞 親王 ( 後 の 三条 天皇 ) の 妃 と なっ た 。
長谷川 貞 政 ( はせがわ さだ まさ 、 生 没年 不詳 ) と は 、 江戸 時代 の 大 坂 の 浮世絵 師 。
長谷川 貞 信 の 門人 で 大坂 の 人 。