こうした 健康 不安 も あっ て 急 に 宗教 に 関心 を 持ち 、 松本 メソジスト 教会 に 通う よう に なっ た 。
1907 年 洗礼 を 受け た が 、 深く 感銘 を 受け て い た 牧師 の 橋本 睦 之 と 伝道 師 の 平林 広人 が 松本 メソジスト 教会 を 離任 する こと と なっ た こと から 、 以後 距離 を おく よう に なっ た 。
しかし 、 すぐ に 退院 し て 10 月 に 松本 を 離れ 、 京都 へ と 向かう こと と なっ た 。
1910 年 10 月 から 第 三 高等 学校 へ 登校 を 始め た 棚橋 は 、 11 月 に 入る と 京都 に 尚志 社 の 支舎 を 設ける こと を 企図 し て 、 細田 忠四郎 や 三沢 満寿夫 など の 松本 中学校 出身 で 京都 に 住ん で い た 4 名 と 黒谷 に 「 由之 舎 」 ( 京都 尚志 社 ) と 名付け た 家 で 共同 生活 を 始め た 。
この 衝撃 から 一 時 郷里 の 松本 に 帰り 、 過去 の 自分 と の 訣別 の ため に 自由 奔放 な 「 野性 的 生活 」 を 翌月 まで 送り 、 体力 と 気力 の 回復 に 努め た 。
政治 家 を 志し た 棚橋 は 、 暑中 休暇 を 利用 し て 松本 へ 帰郷 し た 。
そこで 披雲 会 の 後輩 で ある 青山 善吉 の 相談 を 受け て 、 当時 の 松本 中学 校長 で あっ た 本荘 太一郎 の 排斥 運動 を 展開 する こと に なっ た 。
4 月 、 棚橋 は 麻生 の 友愛 会 入り を 実現 に 向け た 動き として 、 麻生 が 友愛 会 入り を 決意 さ せる こと 、 友愛会 本部 の 人 不足 を 他 の 本部 員 に 認識 さ せる こと の ため に サボタージュ を 行い 、 友愛 会 を 長期 欠勤 し て 松本 に 帰郷 し て しまう 。
この 東京 連合 会 において 棚橋 は 主事 と なり 、 9 月 に は 連合 会 書記 に 松本 中学校 時代 から 棚橋 と 親交 が あっ た 上条 愛 一 を 招い た 。
棚橋 は 「 満州 」 の 日本 領事館 で 入国 許可 を 待つ こと に なっ た が 、 日本 総領事 を 務め て い た の が たまたま 松本 中学校 時代 の 先輩 で あっ た 田中 文一 郎 で あり 、 この 縁 も あっ て 入国 許可 は 速やか に 行わ れ た 。
しかし 、 三 選 を 果たし た ものの 棚橋 は この 以前 から 「 自分 として も 選挙 区 を 持た ね ば なら ない 」 という 考え から 松本 へ の 帰郷 を 考える よう に なっ た 。
10 月 に 棚橋 は 遂に 松本 へ の 帰郷 を 決意 し て まず 、 長男 ・ 泰 助 を 松本 中学校 へ 転校 さ せ た 後 、 11 月 22 日 に 淡路 を 発っ て 松本 へ 移転 し た 。
11 月 26 日 に は 弁護士 事務所 の 看板 を 出し 、 松本 における 生活 を 開始 し た 。
但し 、 松本 市 で 得票 第 3 位 、 市域 の 村 で ある 島立 村 ・ 和田 村 で は 得票 第 1 位 という 善戦 ぶり で 注目 さ れ 、 この 善戦 に対して 『 信濃毎日新聞 』 5 月 2 日 付 で は 社会 大衆 党 の 善戦 について は 将来 に 期待 が もてる 、 と 好感 を もっ て 迎え られ た 。
しかし 、 5 月 4 日 に は 幹部 2 名 が 松本 刑務所 に 強制 収容 さ れ 、 更に 諏訪 市 の 林 宅 に 逃れ て い た 棚橋 と 百瀬 も 逮捕 さ れ 、 最終 的 に 百 瀬 ほか 6 名 が 公判 に 付さ れ て それぞれ 禁固刑 や 懲金 刑 の 判決 が 下さ れ た が 、 文書 違反 程度 で 解決 を み て 、 百瀬 に は 後 に 執行 猶予 と なっ た 。
総 選挙 で 次点 と なっ た 棚橋 は 社会 大衆 党 松本 支部 を 結成 し て 、 自ら の 政治 基盤 の 拡大 を 図っ た 。
総 選挙 へ の 出馬 断念 を 決め た 直後 の 4 月 10 日 、 棚橋 は 松本 市 会議 員 選挙 へ の 出馬 を 志し た 。
市会 選挙 において も 推薦 制 が 採用 さ れ た が 、 組織 さ れ た 松本 市 会議 員 翼賛 選挙 協議 会 に 棚橋 と 親しい 丸山 恒人 ( 片倉 製糸 松本 工場 長 ) や 、 松本 中学 同窓 の 多田 助一 郎 など が 入っ た こと も あり 、 5 月 9 日 に 棚橋 は 推薦 候補 者 に なっ た 。
5 月 24 日 、 前日 まで に 非 推薦 の 立候補者 が 出 なかっ た こと から 、 棚橋 は 無 投票 で 松本 市 会議 員 に 当選 し 、 以後 松本 市 会 を 中心 に 政治 活動 を 展開 し て いく 。
松本 市 会議 員 として 棚橋 は 、 1944 年 に 大政 翼賛 会 松本 支部 常務 委員 筆頭 と なり 、 さらに 翌 1945 年 に は 5 月 に 松本 市 国民 義勇 隊 参与 、 翌月 に は 松本 市 参事 会員 と なっ た 。