また 、 ハンザ 同盟 や 神聖 ローマ帝国 など 、 外部 と の 深い 関わり 合い を 持つ よう に なっ た こと も あっ て 、 北欧 各国 は 社会 ・ 経済 ・ 政治 が 新しく 生まれ変わっ て いく 過程 で 大きな 転換期 を 迎える こと と なっ た 。
13 世紀 末 に なる と ドイツ の 商人 たち が 立ち 上げ た 都市 が 互いに 同盟 を 結ぶ に 至り 、 いわゆる ハンザ 同盟 が 結成 さ れる と 、 北欧 に 大きな 影響 を 及ぼす よう に なる 。
北欧 諸国 は ハンザ 同盟 勢力 に 対抗 する ため 、 法 による 規制 を かけよ う と し た が 、 逆 に 経済 封鎖 による 報復 の 憂き目 に 会い 、 これ に 屈服 し て しまう こと と なっ た 。
ハンザ 同盟 は 北欧 の 経済 を 牛耳る と共に さまざま な 特権 を 獲得 し て いっ た 。
こうした 動向 は ドイツ から 多数 の 移住 者 を 生み出す に 至り 、 北欧 諸国 に さまざま な ドイツ 文化 が 流入 する 要因 と なっ た 。
これ により 北欧 三 国 は 欧州 最大 の 王国 と なっ た 。
これ を 見 て 北欧 の 覇権 が スウェーデン に 移る こと を 危惧し た クリスティアン 4 世 は 様々 な 手段 を 用い て スウェーデン 遠征 軍 の 妨害 を 試み た 。
デンマーク も 覇権 奪回 を 目指し た が 、 欧州 の 列強 と なっ た ロシア によって 北欧 の 覇権 を 打ち立て られる こと と なっ た 。
大 北方 戦争 後 の 北欧 は 新た な 時代 へ と 移っ た が 、 ヨーロッパ の 勢力 図 は 再編 さ れ た 。
この 結果 、 北欧 は 欧州 列強 の 影響 下 に 置か れる こと と なっ た 。
同時に ヨーロッパ で は 啓蒙 思想 や 自由 主義 が 叫ば れる 時代 へ と 突入 し て いき 、 北欧 で も 絶対 王政 に対する 批判 と 君主 制 と 民主 制 を 調和 さ せ た 新しい 政体 が 求め られる よう に なっ て いっ た 。
1814 年 から 翌 1815 年 の ナポレオン 戦争 の 講和 会議 で ある ウィーン 会議 で は 、 北欧 で の 結果 が そのまま 反映 さ れ その後 の ウィーン 体制 として 帰結 し た 。
19 世紀 ベルナドッテ 朝 時代 は 、 国内 で は 武装 中立 を 表明 し 欧州 の 情勢 に対して は 中立 化 が 試み られ た が 、 オスカル 1 世 や 次代 カール 15 世 の 治世 下 で は デンマーク における シュレースヴィヒ = ホルシュタイン 問題 や クリミア 戦争 など 北欧 の 平和 は 危機 を 迎え て い た 。
汎 スカンディナヴィア 主義 は 、 ドイツ 統一 運動 と 衝突 し 、 スウェーデン を 中心 と し た 北欧 統一 運動 が 盛ん と なり 、 中世 カルマル 同盟 の 再興 を 目指し た が 、 汎 スカンディナヴィア 主義 の 挫折 と共に 終焉 し た ( 汎 スカンディナヴィア 主義 は 、 スウェーデン 人 や デンマーク 人 だけ で なく ノルウェー 人 も 参加 し て い た 。
この 運動 の 理念 の 消滅 は 、 北欧 の 自立 化 を 促進 し 、 ノルウェー 独立 の 一因 に なっ た と も いえる ) 。
19 世紀 後半 に 入る と 北欧 諸国 で 政党 の 発達 が 見 られる よう に なっ た 。
北欧 諸国 は 直ちに 中立 を 表明 し 、 相互 の 安全 の ため に 強調 しよ う と する 機運 が 高まり 、 汎 スカンディナヴィア 主義 が 再び 台頭 し た 。
また 同年 、 ロシア の 混乱 に 乗じ て フィンランド が 独立 宣言 を 行う など 、 北欧 諸国 は 大きな 転換期 を 迎える こと と なっ た 。
第 一 次 世界 大戦 により 北欧 諸国 は 大きな 打撃 を 蒙っ た が 、 直接的 な 戦災 は 免れ た ため 、 その 復興 も 迅速 で あっ た 。
1935 年 に スウェーデン 、 デンマーク 、 ノルウェー と 協定 し て 北欧 中立 ブロック を 形成 する と 周辺 国 へ の 配慮 から ファシズム は 鳴り を 潜め 、 ようやく 政情 は 安定 化 し た 。