徳川 家康 の 十 一 男 徳川 頼房 を 家 祖 と し 、 江戸 時代 を通じて 水戸 藩 ( 現在 の 茨城 県 中部 ・ 北部 ) を 治め た 。
利根川 を 挟ん で 、 北 は 茨城 県 と の 境 に 位置 し 、 東 は 我孫子 市 と の 境 に 手賀沼 が 広がる 。
江戸川 を 分流 さ せ た 後 は おおむね 茨城 県 と 千葉 県 の 県境 を 流れ 、 茨城 県 神栖 市 と 千葉 県 銚子 市 の 境 において 太平洋 ( 鹿島灘 ) へ と 注ぐ 。
その あと 間もなく 渡良瀬川 を 合流 し て 茨城 県 猿島 郡 五霞 町内 を 貫流 し た 後 、 茨城 ・ 千葉 県境 を 流れる 。
下流 域 において は 野田 市 関宿 で 江戸川 を 、 千葉 県 柏 市 で 利根運河 を それぞれ 分流 する が 対岸 の 茨城 県 守谷 市 で 鬼怒川 、 取手 市 と 北相馬 郡 利根 町 の 境 で 小貝川 が 合流 する 。
分水 界 は 群馬 ・ 新潟 県境 の 三 国 山脈 や 群馬 ・ 栃木 ・ 福島 県境 の 帝釈 山脈 、 および 茨城 県 から 栃木 県 にかけて 広がる 八溝山地 が 北側 、 群馬 ・ 長野 ・ 埼玉 県境 の 関東 山地 が 西側 に 位置 し 、 これら の 山地 の 南 麓 および 東麓 に 降っ た 雨 が 最終 的 に 利根川 へ と 注ぐ 。
八溝山 塊 、 鷲子 山塊 、 鶏足山 塊 、 筑波 山塊 を 包括 する 八溝山地 および それ に 連なる 栃木 県 宇都宮 市 付近 の 台地 、 および 茨城 県 中 南部 に 分布 する 常総台地 は 南部 について は 渡良瀬川 や 鬼怒川 、 小貝川 さらに 霞ヶ浦 に 注ぐ 河川 群 として 最終 的 に 利根川 へ と 合流 する が 、 北部 について は 箒川 、 荒川 、 涸沼川 など の 那珂川 水系 として 別途 太平洋 へ と 注ぐ 。
流域 自治体 は 首都 で ある 東京 都 を 始め 茨城 県 、 栃木 県 、 群馬 県 、 埼玉 県 、 千葉 県 および 長野 県 の 一 都 六 県 211 市区 町村 に またがり 、 流域 内 に は 日本 の 人口 の 10 % に 相当 する 約 1 , 200 万 人 が 生活 し て いる 。
利根川 本流 は 大水 上山 の 水源 から 太平洋 の 河口 まで 流 路 延長 322 km の 長 さ を 有する が 、 この間 通過 する 自治体 は 群馬 県 、 埼玉 県 、 茨城 県 、 千葉 県 の 四 県 、 25 市 14 町 1 村 に 及ぶ 。
この うち 現在 国土 交通省 が 直轄 で 管理 を 行う 「 指定 外 区間 」 は 、 と なり 、 茨城 県 取手 市 と 千葉 県 我孫子 市 を 跨ぐ 大利根橋 を 境 に 上流 側 を 国土 交通省 関東 地方 整備 局 利根川 上流 河川 事務所 が 、 下流 側 を 利根川 下流 河川 事務所 が 分割 し て 管理 し て いる 。
一方 利水 について は 645 年 の 大化 の 改新 後 施行 さ れ た 班 田 収 授法 で 条 里 制 が 利根川 流域 に も 実施 さ れ た の が 初 見 で あり 、 群馬 県 高崎 市 や 太田 市 、 茨城 県 南部 、 埼玉 県 北部 に その 遺構 が 確認 さ れ て いる 。
治水 事業 について も 1232 年 ( 寛 喜 4 年 / 貞 永 元年 ) に は 執権 北条 泰 時 の 命 により 現在 の 埼玉 県 熊谷 市 に 柿沼 堤 が 、 1253 年 ( 建 長 5 年 ) に は 執権 北条 時 頼 の 命 により 現在 の 茨城 県 猿島 郡 五霞 町 付近 、 下総 国下 河辺 に 堤防 が 築か れ て いる 。
これ は 現在 東北新幹線 利根川 橋梁 が 渡河 する 付近 の 茨城 県 古河 市 ・ 五霞 町 間 を 開削 し 、 1621 年 に 伊奈 忠治 によって 行わ れ た 利根川 と 渡良瀬川 の 連結 事業 で ある 新川通 開削 と 連携 し て 利根川 の 河水 を 東 へ 付け替える 事業 で ある 。
また 小貝川 は 流域 が 平地 主体 で ダム 建設 の 適地 が なく 、 洪水 調節 施設 は 存在 し なかっ た が 1986 年 ( 昭和 61 年 ) の 水害 で 茨城 県 下館 市 ( 現 ・ 筑西 市 ) など が 浸水 被害 を 受け た ため 、 1990 年 に 流域 初 と なる 洪水 調節 施設 ・ 母子島 ( はこ じ ま ) 遊水池 が 建設 さ れ た 。
ただし 利根川 と 霞ヶ浦 、 そして 那珂川 を 連結 し て 霞ヶ浦 の 浄化 と 首都 圏 へ の 新規 利水 を 目的 に 建設 中 の 霞ヶ浦 導水 事業 は 、 那珂川 の 水質 悪化 を 懸念 する 栃木 県 ・ 茨城 県 那珂川 漁業 協同 組合 が 事業 差し止め 訴訟 を 起こす など 頑強 な 反対 運動 を 起こし て おり 、 事業 は 進捗 し て い ない 。
この ため 国土 交通省 で は 関東 一 の 清流 で ある 那珂川 の 河水 を 霞ヶ浦 に 導水 し て 水質 改善 を 図る 霞ヶ浦 導水 事業 を 施工 し て いる が 、 栃木 ・ 茨城 両 県 の 那珂川 漁業 協同 組合 が 那珂川 の 水質 悪化 を 理由 に 反対 し て いる ( 前述 ) 。
この 構想 で は 印旛沼 を 利用 し た 運河 建設 が 提案 さ れ て い た が 紀尾井 坂 の 変 で 大久保 が 暗殺 さ れ た 後 、 茨城 県 令 ・ 人見 寧 が 1884 年 ( 明治 17 年 ) 5 月 に 『 茨城 県 五 工事 起業 提言 』 を 太政官 に 提出 。
対岸 に は 渡良瀬川 から 利根川 に 沿っ て 整備 さ れ た 自転車 道路 、 茨城 県 道 503 号 古河 坂東 自転車 道 線 が ある 。
利根川 流域 に ある 文化財 として は ユネスコ の 世界 遺産 に 登録 さ れ て いる 日光 東照宮 など の 日光 の 社寺 を 始め 、 国 の 史跡 ・ 重要 文化財 として 丸沼 ダム 、 碓氷 第 三 橋梁 など の 碓氷 鉄道 施設 遺産 群 ( 群馬 県 ) 、 足尾 銅山 跡 ( 栃木 県 ) 、 横 利根 閘門 ( 茨城 県 ) 、 伊能 忠敬 旧宅 ( 千葉 県 ) が 、 特別 史跡 として 日光 杉 並木 街道 、 大谷 磨崖仏 、 常陸 国分寺 跡 ・ 常陸 国分 尼寺 跡 など が ある 。
県 の 史跡 として は 埼玉 県 が 最多 で 見沼 通 船堀 遺跡 ・ 鷲宮 神社 寛 保 治水 碑 ・ 栗橋 関所 跡 ・ 川俣 関所 跡 ・ 石田 堤 ・ 忍 城 ・ 伊奈 忠次 墓 など が あり 、 この 他 田中 正造 旧宅 ・ 二宮 尊徳 墓 ( 栃木 県 ) 、 榊原 康政 画像 と 墓 など 4 箇所 ( 群馬 県 ) 、 熊沢 蕃山 墓 ( 茨城 県 ) が ある 。