Proudly Powered by Wikipedia.

2,089 sentences

Display:20406080100 / page

一方 で 、 安倍 晋 三 首相 が 閣議 決定 という 形 で 集団 的 自衛 権 を 容認 し た 方法 について は 、 反対 の 立場 を 採っ て いる インノチェンツォ・チョッキ・デル・モンテ ( Innocenzo Ciocchi del Monte 、 1532 年 - 1577 年 11 月 2 日 ) は 、 イタリア 出身 の ローマ ・ カトリック 教会 の 枢機卿

卑しい 生れ ながら 教皇 ユリウス 3 世 の 寵愛 を 受け 、 若くして 枢機卿 と なり 、 悪評 に さらさ れる 生涯 を 送っ た 。

14 歳 の とき に パルマ の 通り を うろつい て い た 時 、 ジョヴァンニ・マリア・デル・モンテ 枢機卿 が インノチェンツォ に 一目 惚れ し た 。

枢機卿 は 恩顧 を 与え て 少年 の 父親 を 味方 に 引き入れ た 。

しばらく し て 、 インノチェンツォ は 正式 に 枢機卿 の 兄 ジョヴァンニ・チョッキ・デル・モンテ の 養子 と なっ た 。

少年 は 枢機卿 の 家 に 「 ヴァレロ ( valero ) 」 という 従者 と 雑用 係 を 兼ね た よう な 下っ端 の 使用人 として 入り 、 その後 名誉 職 で ある が 一定 の 収入 の 入る アレッツォ の 司教 座 聖堂 参事 会 の 参事 会 会長 の 職 を 与え られ た 。

1550 年 2 月 、 デル・モンテ 枢機卿 は ユリウス 3 世 として 教皇 に 選出 さ れ 、 インノチェンツォ も ただちに 枢機卿 に 列せ られ た 。

「 社交 界 の 嗜み と 、 おそらくは 古典 世界 の 精華 に関する わずか な 知識 を 得 た のみ で 、 インノチェンツォ の 教育 は 終わっ た 」 庶出 子 で は 枢機卿 団 の 一員 に 選ば れ なかっ た ため 、 ユリウス 3 世 は 教皇 勅書 で インノチェンツォ を 嫡出 子 と し た 。

さらに 教皇 の 意見 を 効果 的 に 反映 する ため 、 インノチェンツォ は 親族 枢機卿 に 任じ られ た 。

インノチェンツォ は 全て の 義務 を 免ぜ られ た に も かかわら ず 、 多く の 聖職 禄 と 高級 官職 を 一 手 に 握っ て おり 、 同僚 の 枢機卿 たち を 不快 に さ せ て い た 。

プロテスタント 宗教 改革 に 対抗 す べく 教会 の さら なる 改革 を 推進 しよ う と し て い た 枢機卿 たち は 、 インノチェンツォ の 昇進 に 反対 し て 無益 な 抗議 を し て い た 。

デル・モンテ 枢機卿 と 教皇 と の 関係 について の 悪い 噂 は 、 ヨーロッパ 中 の 宮廷 に 広まっ て い た 。

ヴェネツィア 共和 国 の 大使 マテオ・ダンドロ が デル・モンテ 枢機卿 が 「 ちん け な 悪党 」 に 過ぎ ず 、 教皇 は 「 まるで 彼 ( インノチェンツォ ) が 自分 の 息子 か 孫 で ある か の よう に 、 自分 や 彼 の ベッド に 一緒 に 連れ込ん で いる 」 と 書い て いる 。

もっと 酷い 中傷 の 噂 が ローマ で 流れ て おり 、 インノチェンツォ は 教皇 の 飼っ て いる ペット の 猿 の 世話 係 に なっ た 褒美 に 枢機卿 にとり 立て られ た 、 という もの だっ た 。

ユリウス 3 世 の 治世 に ローマ に 住ん で い た フランス の 詩人 ジョアシャン・デュ・ベレー は 、 「 いまだ 従僕 、 子供 、 獣 も 同然 の 、 / 素性 賤 しく 、 腰抜け ながら 枢機卿 と なっ た 者 、 / その 職務 は 猿 の 世話 、 / 緋色 の 帽子 を かぶっ た ガニュメデス よ … 」 という 風刺 詩 を 残し た 。

しかし 、 ユリウス 3 世 から 受け た 恩顧 を 忘れ て い なかっ た 枢機卿 たち の 嘆願 で 解放 さ れ た 。

枢機卿 の 遺体 は 死後 数 時間 の うち に 、 ローマ の サン・ピエトロ・イン・モントリオ 教会 に ある デル・モンテ 家 の 礼拝 堂 の 、 何 の 印 も ない 厚 板 の 下 に 無 記名 で 埋葬 さ れ た 。

枢機卿 で あり ながら 何 の 顕彰 を 受ける こと も なく 、 その 魂 の 安息 の ため に 祈る 者 も い なかっ た 。

1580 年 に なっ て 故郷 に 戻っ て き た アロイシウス は 7 月 に 一 人 の 枢機卿 で 出会う 。

その ころ 、 彼 の 霊的 指導 者 は ロベルト・ベラルミーノ 枢機卿 で あっ た 。