ところが 1967 年 上海 市 嘉 定 区 の 明代 の 墳墓 から 、 成 化 年間 ( 1465 年 - 1487 年 ) に 北平 ( 現 北京 市 ) の 永 順 堂 という 書店 が 刊行 し た 『 花 関 索 伝 』 という 書物 が 発掘 さ れ た こと で 、 元 ・ 明代 に 流布 し て い た 関 索 伝説 の 全貌 が 明らか と なっ た 。
『 花 関 索 伝 』 は 『 平話 』 を 上回る 荒唐無稽 な 物語 で あり 、 劉 備 は もちろん 諸 葛 亮 や 張 飛 、 父 で ある 関 羽 すら 押しのけ 、 ひたすら 関 索 ( 花 関 索 ) のみ が 大 活躍 する 小説 で ある 。
関 索 説話 は 『 演義 』 の 形成 と は 別に 発展 し た らしい が 、 『 演義 』 成立 後 に 様々 な 書店 や 編者 の 手 で 物語 に 挿入 さ れ た ため 、 異なる 系統 の 関 索 像 が 取り込ま れる こと と なっ た 。
近年 で は 逆 に 、 関 索 物語 の 有無 や 内容 によって 、 各 刊本 の 系統 関係 が 推測 さ れる よう に なっ た ( 後述 ) 。
そして その 中 で 文章 を 簡略 化 し た もの と し て い ない もの に 分かれ 、 簡略 化 し て い ない 方 に 花 関 索 説話 を 挿入 し た もの が 二 十 巻 繁本 系 、 簡略 に し た もの に 関 索 説話 を 挿入 し た もの が 二 十 巻 簡本 系 に つながる 。
毛 宗 崗 は 校訂 にあたって 、 なるべく 史実 を 重視 し 、 それ まで の 刊本 に 採録 さ れ て い た 花 関 索 説話 など の 荒唐無稽 な 記述 や 、 周 静軒 の 詩 を 削除 する 方針 を とっ た 。
『 花 関 索 伝 』 で は 、 周 倉 は 成都 の 元帥 として 登場 し 劉 備軍 と 戦う が 、 関 索 に 敗れ て 降伏 する 。
また 道教 の 儀礼 書 『 道 法会 元 』 巻 259 に は 、 関 元帥 ( 関 羽 ) に 従う 将軍 として 関 平 ・ 関 索 とともに 「 周 昌 将軍 」 が 登場 する 。
関 索 は 上述 の ごとく 、 架空 の 人物 で あり 、 版本 によって 登場 の 仕方 が 異なる 。
『 演義 』 より やや 遅れ た 16 世紀 前半 に 成立 し た 『 水 滸伝 』 に は 「 病 関 索 」 の あだ名 を 持つ 楊雄 という 人物 が 登場 する 。
そこ で は 「 賽 関 索 王 雄 」 の 名 が 見 られる ( 病 や 賽 は 本家 より やや 劣る という 意 で ある 。
この 記述 から 、 南 宋 末 ( 13 世紀 半ば ) の 時点 で すでに 関 索 の 名 が 知れ渡っ て い た こと が 分かる 。
同じく 南 宋 から 元 代 にかけて 横行 し た 盗賊 の 中 に も 、 逆 に 盗賊 を 取り締まる 軍人 の 側 に も 朱 関 索 、 賽 関 索 など の あだ名 が 見 られる 。
また 首都 臨安 の 繁栄 を 描い た 『 武林 旧 事 』 に は 、 都市 の 盛り場 で の 角力 で も 小関 索 ・ 厳 関 索 など の 四股 名 が 見 られる など 、 「 関 索 」 が 広く 認知 さ れ 、 あだ名 に 用い られる 英傑 として 定着 し て い た こと が うかがえる 。
また 伝承 の 中 で 関 索 が 活躍 し た と 思わ れる 四川 省 ・ 雲南 省 ・ 貴 州 省 など の 地域 に は 、 関 索 嶺 や 関 索 廟 、 関 索 城 など の 地名 が 残っ て いる 。
これら の 関 索 伝説 について 小川 環樹 は 、 中国 天文学 の 星座 に 「 貫 索 九星 」 ( かん むり 座 の 一部 ) が あり 、 それ が 神様 として 崇拝 さ れ た 可能 性 を 指摘 する 。
宋 代 に 三 国 物語 ( 特に 孔明 の 南 征 や 関 羽 の 神格 化 など ) が この 地方 に 広まる につれ 、 関 羽 へ の 連想 から 貫 索 が 関 索 に 変化 し て ( 「 貫 」 ( guàn ) と 「 関 」( guān ) は ほぼ 同音 ) 、 南 征 説話 と 結びつけ られ 、 「 関 羽 の 子 が 死し て 神 と なっ た 」 という 伝説 に 昇華 し た と いう 。
その ほか 、 宋 代 に 架空 の 武将 関 索 の 名 が 広まり 、 武勇 に 優れる 「 関 」 姓 の 将軍 という こと から 関 羽 と 関連づけ られ 、 息子 という こと に さ れ た と する 説 も ある 。
『 平話 』 で 関 索 は 孔明 の 南 征 中 、 不 危城 に 籠 もる 呂 凱 を 倒す ため 突然 登場 し 、 しかも その 一 度 しか 出 て こ ない 。
また 元 代 の 雑劇 の うち 、 三 国 時代 を 舞台 と し た 作品 群 の 中 に も 、 関 索 の 名 は 全く 登場 し て い ない 。