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実際 に キャロル の コンサート で の 血気 盛ん な ファン 同士 の ケンカ 騒ぎ が 新聞 に 報じ られ 暴走 族 が 集会 する という 理由 で 会場 に 公演 を 拒否 さ れる 問題 も 起こっ た が 、 そうした 話題 性 も 評判 を 高める こと に 貢献 し た 。

そんな 時代 の 申し子 の よう に 、 キャロル の 音楽 や ファッション は 若者 の 心 を 虜 に し た 。

コンサート に 集まる 若者 の 半分 以上 が 若い 男の子 で あっ た が 、 彼ら の 鬱積 し た 肉体 の エネルギー は 、 キャロル の 演奏 によって 挑発 さ れ た 。

この よう な 暴力 沙汰 は マスコミ に も 取り上げ られ 社会 問題 と なり 、 キャロル は 段々 会場 と なる 公会堂 を 締め出さ れ て いっ た 。

京浜 工業 地帯 で 誕生 し た キャロル は 、 リバプール から 生まれ た ビートルズ と オーバーラップ さ せ て 、 さらに 下層 階級 的 成り上がり の 美学 を 構築 し た 。

キャロル の ビート 感 や リズム の 力強 さ は 、 矢沢 の 生きざま そのもの で あっ た の で ある 。

1973 年 2 月 28 日 、 「 ロックンロール ・ カーニバル 」 に 出演 し た キャロル を 会場 で 観 た NHK ディレクター ・ 龍 村 仁 ( 当時 ) が キャロル に 取り 憑かれ 、 彼ら に 帯同 し て カメラ を 回し ドキュメンタリー 『 キャロル 』 を 制作 し た {# tag : ref | 龍 村 は 『 キャロル 』 プログラム ・ ブック 「 アート シアター 」 第 110 号 ( 1974 年 6 月 22 日 発行 ) 「 映画 『 キャロル 』 演出 ノート 」 、 及び 著書 『 キャロル 闘争 宣言 』 で 、 キャロル と の 最初 の 衝撃 を 「 はじめて キャロル を 見 て 、 全身 の 皮膚 が 一瞬 に 鳥肌 だって くる の を 覚え た 。

キャロル が 去っ て 、 内田 裕也 が 國 学院 応援 団 とともに 登場 し た とき 、 私 と 同年輩 の 男 ・ 内田 裕也 の 演奏 を 聞く に し のび ない 思い が し て 会場 を 出 た 」 と 記し て いる 。

「 龍 村 は 、 キャロル より ずっと 先輩 の 日本 の ロックンローラー 内田 裕也 が 、 キャロル に は ( あるいは 矢沢 永吉 に は ) なれ ない こと 、 なれ なかっ た こと を 、 瞬時 に 見 て しまっ た の で ある 、 あるいは 、 そう 直感 さ せる もの を 、 登場 し た 瞬間 に キャロル が 示し て しまっ た の で ある 」 と 小野 耕世 は 論じ て いる 。

この 事件 は 、 三 大 新聞 を はじめ 、 多く の マスコミ に 取り上げ られ 社会 問題 に 発展 し た が キャロル が NHK で ある 種 の ボイコット を 受け た こと は 、 若者 たち の 間 で 異常 な ほど の 人気 で 迎え られる 結果 と なっ た 。

キャロル を スカウト し た ミッキー ・ カーチス は 「 漠然と やり たい と 思っ て い た もの を 目 の 前 に 見せつけ られ た 感じ だっ た 」 と 述べ て いる {# tag : ref | ミッキー は 「 昔 、 オレ 達 が やっ て た 時 は 、 楽器 ひける ヤツ も 少なかっ た し 、 英語 は メチャクチャ 、 かっこ ばかり の ロックン・ローラー だっ た けど 、 キャロル は 違う ん だ 。

キャロル 登場 の インパクト は 大きく 、 ロカビリー 以来 の 活動 歴 を 持つ 内田 裕也 は 、 イベンター として ミッキー と 共同 で 1973 年 2 月 「 日本 ロックンロール 振興 会 」 を 旗揚げ し て 、 同月 28 日 「 ロックンロール ・ カーニバル 」 ( 渋谷 公会堂 ) を 仕掛け 、 自ら も ロックンロール に 回帰 し て 「 1815 ロックンロール バンド 」 の 活動 を 活発 化 さ せ た 。

キャロル 以前 は まだ " ロックンロール " という 音楽 が 世間 で 認知 さ れ て い なかっ た 。

1973 年 夏 に は 「 1815 ロックンロール バンド 」 や キャロル が パッケージ と なっ た 「 ロックンロール ・ イン ・ サマー 」 という イベント が 全国 16 ヶ所 で 開催 さ れ て 、 ロックンロール ブーム を 決定づけ た 。

キャロル 売り出し の 際 に アート ディレクター ・ 奥村 靫正 が 関わり 、 メディアミックス で やら ない と と 提案 し 、 矢沢 から 「 日本一 の カメラマン に 撮っ て 欲しい 」 と 頼ま れ 、 デビュー 間 も ない 篠山 紀 信 を 紹介 し て 、 キャロル は 大々的 に 売り出さ れ た 。

キャロル の 影響 で 、 1950 年代 の ロックン・ロール を 聴く 暴走 族 の うち 、 原宿 に 集まっ た 暴走 族 の 中 から 生まれ た の が クールス で ある 。

クールス は キャロル が コンサート 会場 へ 行き来 する 時 に 、 バイク に またがり 、 キャロル の 乗る 車 の 前後 を 護衛 する か の よう に 付き従い 、 そのうち クールス 自体 も バンド 活動 を 始め た もの で 、 音楽 的 に は シャ・ナ・ナ の 影響 を 受け て いる 。

ダウン ・ タウン ・ ブギウギ ・ バンド は 、 1973 年 12 月 1 日 の デビュー で 、 キャロル と は 約 一 年 遅れ の デビュー だ が 、 キャロル が 篠山 紀 信 に 写真 を 撮ら れ 、 大々的 に 売り出さ れ た ため 、 キャロル の 物真似 と 散々 言わ れ た と 宇崎竜童 は 話し て いる 。

『 港 の ヨーコ ・ ヨコハマ ・ ヨコ スカ 』 ( 1975 年 3 月 25 日 発売 ) が 出る とき に キャロル は 華々しく 解散 。

『 スモーキン・ブギ 』 ( 1974 年 12 月 5 日 発売 ) が 2 位 に なっ た 時 、 楽屋 で 一緒 に なる と キャロル の 方 は 、 シングル ヒット が なかっ た こと で 「 お タク 達 は 泥臭く やっ て 成功 し た ね 。