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その 間 キャロル は 少女 たち 、 特に お気に入り で あっ た アリス の ため に 、 「 アリス 」 という 名 の 少女 の 冒険 物語 を 即興 で 語っ て 聞か せ た ( この とき の 様子 は 作品 の 巻頭 の 献呈 詩 の なか で 「 黄金 の 昼下がり 」 として 描か れ て いる ) 。

キャロル は それ まで に も 彼女 たち の ため に 即興 で 話 を つくっ て 聞か せ た こと が 何 度 か あっ た が 、 アリス は その 日 の 話 を 特に 気に入り 、 自分 の ため に 物語 を 書き留め て おい て くれる よう キャロル に せがん だ 。

キャロル は ピクニック の 翌日 から その 仕事 に 取り掛かり 、 8 月 に ゴッドストウ へ 姉妹 と 出かけ た 際 に は 物語 の 続き を 語っ て 聞か せ た 。

この 手書き による 作品 『 地下 の 国 の アリス 』 が 完成 し た の は 1863 年 2 月 10 日 の こと で あっ た が 、 キャロル は さらに 自分 の 手 で 挿絵 や 装丁 まで 仕上げ た うえ で 、 翌 1864 年 11 月 26 日 に アリス に この 本 を プレゼント し た { refnest | group =" 注釈 "| もっ とも 、 完成 し た この 本 を プレゼント し た とき に は キャロル と リデル 家 と の 関係 は すでに 冷えこん で い た 。

その 経緯 を 書い た 部分 と 思わ れる 箇所 が キャロル の 日記 から ( おそらく キャロル の 死後 に 姪 によって ) 削除 さ れ て いる ため 原因 は 不明 で ある が 、 キャロル が アリス に 求婚 し て リデル 夫人 に 断ら れ た の で は ない か と も 推測 さ れ て いる 。

さらに この間 、 キャロル は 知己 で あり 幻想 文学 ・ 児童 文学 の 人気 作家 で あっ た ジョージ ・ マクドナルド の 一家 に 原稿 を 見せ た 。

マクドナルド 夫妻 は 手紙 で 、 作品 を 正式 に 出版 する こと を キャロル に 勧め 、 また 夫妻 の 6 歳 の 息子 グレヴィル が 「 この 本 が 6 万 部 あれ ば いい ね 」 と 言っ た こと が キャロル を 励まし た 。

こうして キャロル は 出版 を 決意 し 、 『 地下 の 国 の アリス 』 から 当事者 に しか わから ない ジョーク など を 取り除き 、 「 チェシャ 猫 」 や 「 狂っ た お茶 会 」 など の 新た な 挿話 を 書き 足し て 、 もと の 18 , 000 語 から 2 倍 ちかい 35 , 000 語 の 作品 に 仕上げ 、 タイトル も 『 不思議 の 国 の アリス 』 に 改め た 。

彼 も ある 日 リデル 家 を 訪れ た 際 に 『 地下 の 国 の アリス 』 を 目 に し 、 リデル 夫人 を 介し て キャロル に この 作品 の 出版 を 勧め て いる 。

} の 児童 書 『 { 仮 リンク | 水 の 子 | en | The Water - Babies , A Fairy Tale for a Land Baby }』 が 好評 を 得 て い た ため 、 キャロル の 物語 に 興味 を 示し た もの と 思わ れる 。

挿絵 に こだわり を 持っ て い た キャロル は テニエル と 何 度 も 連絡 を とり 、 細かい 注文 を つけ て テニエル を 閉口 さ せ た が 、 二 人 の やりとり の あと を 示す 書簡 は 今日 で は 残っ て い ない 。

出版 は マクミラン 社 だ が 、 挿絵 代 も ふくめ 出版 費用 は すべて キャロル 自身 が 受け持っ て いる ( 当時 こうした かたち の 出版 契約 は めずらしく なかっ た ) 。

この ため キャロル は 自分 が 好む まま の 本 作り を する こと が でき た の で ある 。

ところが 、 挿絵 を 担当 し た テニエル が 初 版本 の 印刷 に 不満 が ある と ただちに 手紙 で 知らせ て き た ため 、 キャロル は マクミラン 社 と 相談 の うえ で 出版 の 中止 を 取り決め 、 初 版本 を すべて 回収 し 文字 組み から やり直さ なけれ ば なら なく なっ た { refnest | group =" 注釈 "| 出版 中止 し た 初 版本 2000 部 の うち 、 製本 さ れ て い なかっ た 1950 部 は 、 テニエル の 了承 を 経 た うえ で アメリカ合衆国 の アプルトン 社 に 売却 さ れ ( 翌 1866 年 刊行 ) 出版 費用 の 足し に さ れ た 。

印刷 の やり直し は 費用 を 負担 し て いる キャロル にとって 痛手 で あっ た が 、 こうして 1865 年 11 月 に 刊行 さ れ た 『 不思議 の 国 の アリス 』 は 着実 に 売れ て いき 、 1867 年 まで に 1 万 部 、 1872 年 に は 3 万 5000 部 、 1886 年 に は 7 万 8000 部 に 達し た 。

キャロル は 本 を 寄贈 し た 知人 たち ( その 中 に は ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ や 、 前述 の チャールズ ・ キング スリー の 弟 ヘンリー ・ キング スリー ら が い た ) から 好評 を 得 た ばかり で なく 、 各紙 の 書評 で いずれ も 無条件 の 賞賛 を 受け た 。

キャロル は 当時 の 日記 に 19 の 書評 を リスト し て おり 、 その 中 に は 『 アリス 』 を 「 輝かしい 芸術 的 宝物 」 と 評し た 『 リーダー 』 紙 を はじめ 『 プレス 』 『 ブックセラー 』 『 ガーディアン 』 など が 含ま れ て いる 。

この 『 不思議 の 国 の アリス 』 の 出版 により 、 ルイス ・ キャロル の 名 は 1 、 2 年 の 間 に 広く 知ら れる よう に なっ た 。

好評 を 受け た キャロル は 『 アリス 』 の 続編 を 企画 し はじめ 、 1866 年 頃 より 『 鏡 の 国 の アリス 』 の 執筆 を はじめ た { refnest | group =" 注釈 "| ルイス ・ キャロル = チャールズ ・ ドジソン が 『 不思議 の 国 の アリス 』 の 次に 出版 し た 本 は 児童 書 で は なく 、 ドジソン 名義 で 出版 し た 数学 書 『 行列 式 初歩 』 ( 1867 年 ) で あっ た ( これ は ドジソン の 最初 の 数学 に関する 著作 で ある ) 。

この ため 、 『 不思議 の 国 の アリス 』 を 気に入っ た ヴィクトリア 女王 が キャロル に 次 の 著作 を 送る よう 求め た ところ 、 この 『 行列 式 初歩 』 が 送ら れ て き た 、 といった エピソード が 広まっ た が 、 これ は まったく の 作り話 で ある と 、 キャロル 自身 が 生前 『 記号 論理 学 』 第 二 版 の 広 告文 の 中 で はっきり 否定 し て いる 。