2012 年 ( 平成 24 年 ) 10 月 1 日 に 、 郵便 事業 株式会社 と 郵便 局 株式会社 が 統合 さ れ 日本 郵便 株式会社 が 発足 し た こと に ともない 、 郵便 事業 丹波 支店 は 丹波 郵便 局 と なっ た 。
民営 化 直前 の 、 集配 業務 再編 において 、 多く の 集配 普通 郵便 局 は 統括 センター と なっ た が 、 当局 は 配達 センター と さ れ た ため 、 民営 化 後 も 郵便 事業 株式会社 の 支店 は 併設 さ れ ず 、 集配 センター が 併設 さ れ た 。
民営 化 以降 は 、 ゆう ちょ 銀行 大阪 支店 の 出張所 と なっ た 。
出資 比率 は 富士建設 ( 50 %) ・ 菱 中 建設 ( 30 %) ・ 大成ロテック ( 20 %) で 、 地元 室蘭 地区 に 本社 を もつ 富士建設 が 幹事 会社 と なり 、 同社 登別 支店 に 本部 を 設置 、 工事 受注 ・ 施工 が まかなわ れ て いる 。
民営 化 直前 の 、 集配 業務 再編 において 、 多く の 集配 特定 郵便 局 は 配達 センター と なっ た が 、 当局 は 地域 郵便 輸送 の 拠点 として 統括 センター と さ れ た ため 、 民営 化 に際し 郵便 事業 株式会社 の 支店 が 併設 さ れ た 。
通信 販売 に 強み を 持ち 店頭 販売 に あまり 注力 し て い ない ため 支店 の ほとんど は 経費 が 少ない オフィス ビル の 2 階 以上 に ある いわゆる 空中 店舗 と なっ て いる 。
その他 に 習志野 市 に も 支店 を 置く 。
ほぼ 一貫 し て 本部 に 在籍 し 、 名古屋 支店 次長 ・ 審査 部 課長 ・ 人事 部長 。
そして 支店 長 ( 営業 部 店長 ) を 経験 せ ず に 1979 年 取締役 、 1980 年 常務 、 1982 年 専務 、 1983 年 副 頭取 に 就任 。
マスコミ へ の インタビュー で は 、 “ 愛知 県内 100 店舗 ( 当時 は 40 店舗 ) へ 拡大 ” 、 “ 2 、 3 年 内 に ベトナム 事務所 開設 ” 等 の 構想 を 語る など 意欲 的 な 経営 姿勢 を 見せ た が 、 愛知 県内 店舗 増設 は かなわ ず 、 2006 年 現在 4 店舗 削減 さ れ 、 海外 も ベトナム 進出 は おろか ニューヨーク 支店 ・ ロンドン 駐在 員 事務所 が 閉鎖 と なっ て いる 。
融資 先 において も 、 清水 の 長女 が 嫁い だ 総合 病院 ・ 清水 が 旅行 する 際 の 定宿 に し て いる 温泉 旅館 は 最盛 期 に は 担当 支店 の 融資 残高 で 過半数 を 占め 、 清水 と 親密 関係 に ある 大 株主 の 関連 会社 で ある ゴルフ 場 経営 会社 ( 2004 年 に 経営 破綻 ) の 会員 権 ( 正確 に は この 会員 権 を 購入 する ため の ゴルフ ローン ) に関して は 、 バブル 崩壊 後 も 2000 年 頃 まで 行員 ・ 顧客 に対して 積極 的 な 勧誘 を 行っ て い た 。
1999 年 6 月 の 十六銀行 役員 改選 にて 、 日銀 ( 京大 経 卒 ・ 日銀 静岡 支店 長 、 同 考査 役 を 経 て 1983 年 6 月 入行 、 同年 常務 、 1987 年 6 月 専務 ) 及び 大蔵省 ( 名 大 院 修 ・ 大蔵省 関東 財務局 管財 第 一 部長 を 経 て 十 六 リース 専務 。
1988 年 6 月 常務 東京 支店 長 、 1995 年 6 月 専務 、 ちなみに 清水 と は 大学 の 同級生 で ある ) 出身 専務 が 退任 する 。
清水 から 後継 指名 さ れ た 小島 は 、 入行 以来 支店 営業 が 長く 、 必ずしも 頭取 として 有力 視 さ れ て い た わけ で は なかっ た 。
そして 、 2005 年 6 月 、 再び 金融 庁 に 委託 さ れ た 東海 財務局 定期 検査 の 折 、 代表 取締役 会長 から 一気に 役員 で ない 顧問 に 退い た ( 清水 の 退任 と 同時に 、 母 店 支店 長 ら 側近 役員 も 退任 と なっ て いる ) 。
また 、 大垣 市内 に 自宅 が あっ た が 、 冬季 の 大雪 時 に は 最 寄 の 大垣 北 支店 行員 に 雪掻き を さ せる など 、 公私 混同 が 目立っ て い た 。
金利 は 他 の 金融 機関 と 比べ 低く 、 預入 制限 など が あっ た に も かかわら ず 、 政府 の 信用 が あっ た こと に 加え 、 当時 の 金融 機関 が 富裕 層 を 顧客 に し て おり 、 主要 都市 に しか 支店 が なかっ た こと など から 、 徐々に 貯金 残高 を 伸ばし て いっ た 。
イタリア で は 、 営業 地域 規制 など により 銀行 の 営業 網 整備 が 遅れ て いる ため 、 郵便 貯金 は 支店 数 が 多く 便利 で ある こと 、 政府 が 運営 し て いる という 信頼 感 が ある こと 、 手数料 が 無料 で ある こと 、 税制 上 の 優遇 措置 など が ある こと など から も 、 その 優位 性 を 保っ て き た 。
また 、 相次ぐ 支店 の 閉鎖 によって 、 銀行 や ATM すら ない 「 金融 空白 地 」 が 誕生 し て いっ た 。
本店 の ある 網走 市 と 支店 の ある 7 市町 に 資本 増強 策 の 形 で 優先 出資 証券 の 引き受け を 打診 し た 。