オデュッセウス ( Ὀ δυσσεύς , Λαερτιάδης 、 ラテン 文字 転記 : Odysseus ) は ギリシア 神話 の 英雄 で あり 、 イタケー の 王 ( バシレウス ) で あり 、 ホメーロス の 叙事詩 『 オデュッセイア 』 の 主人公 で も ある 。
オデュッセウス の 貴種 流離譚 で ある 長い 帰還 の 旅 に 因み 、 長い 苦難 の 旅路 を 「 オデュッセイ 、 オデュッセイア 」 という 修辞 で 表す こと も ある 。
まず 第 一 に 、 『 オデュッセイア 』 で トロイア 戦争 を 歌う ため に 登場 する アオイドス の デーモドコス が 盲目 で ある ―― ムーサ は デーモドコス から 「 目 を 取り去っ た が 、 甘美 な 歌 を 与え た 」 。
近年 に なり 、 アングロサクソン の 作家 たち は 『 オデュッセイア 』 が 紀元前 7 世紀 の シチリア の 女性 によって 書か れ た と する 仮説 を 打ち出し 、 『 オデュッセイア 』 に 登場 する ナウシカアー は 、 ある 種 の 自画像 だ と いう 。
最初 に この アイデア を 打ち出し た の は イギリス の 作家 サミュエル ・ バトラー の 『 オデュッセイア の 女性 作家 』 ( 1897 年 ) で あっ た 。
『 イーリアス 』 と 『 オデュッセイア 』 は 紀元前 6 世紀 以降 、 ホメーロス の 作品 と さ れ て いる 。
また 、 多く の 古典 期 の 作者 たち が 、 『 イーリアス 』 に も 『 オデュッセイア 』 に も 出現 し ない 詩 行 を ホメーロス の もの で ある として 引用 し た ―― シモーニデース 、 ピンダロス など 。
『 イーリアス 』 と 『 オデュッセイア 』 のみ を ホメーロス の 作 と する よう に なっ た の は プラトン と アリストテレス 以降 で ある が 、 それでも 16 世紀 に なっ て なお 、 デジデリウス・エラスムス は 『 蛙 鼠 合戦 』 が ホメーロス の 作 で ある と 信じ て い た 。
古代 ・ 中世 の ギリシア 人 たち は 、 一部 例外 を 除い て 、 『 イリアス 』 と 『 オデュッセイア 』 が ホメーロス の 作 で ある 事 を 疑わ なかっ た が 、 近代 に なり 、 異論 が 唱え られる よう に なっ た 。
例えば 、 ホメーロス が もし 『 イリアス 』 の 作者 なら 『 オデュッセイア 』 は それ より 少し 後代 の 別人 、 あるいは 複数 の 詩人 に なる もの で は ない か という 推測 で ある 。
この 疑問 は 古代 に まで 遡る ―― セネカ に よれ ば 、 「 オデュッセイア の 漕手 が 何 人 だっ た か 、 『 イーリアス 』 は 『 オデュッセイア 』 より 前 に 書か れ た の か 、 これら 2 つ の 詩 は 同じ 作者 な の か といった こと を 知り た がる の は ギリシア 人 の 病気 で あっ た 。 」 今日 「 ホメーロス 問題 」 と 呼ば れ て いる もの は 、 { 訳 語 疑問 点 範囲 | オービニャック 師 | date = 2010 年 4 月 | l ' abbé d ' Aubignac | cand _ prefix = 原文 } の 許 で 生まれ た もの の よう で ある 。
オービニャック にとって 、 『 イーリアス 』 と 『 オデュッセイア 』 は 昔 の ラプソドス たち の テクスト の 集積 に しか 過ぎ なかっ た .。
ジャンバッティスタ・ヴィーコ も また ホメーロス は 決して 実在 せ ず 、 『 イーリアス 』 と 『 オデュッセイア 』 は 文字通り ギリシア の 人々 全体 による 作品 で ある と 考え た 。
「 統一 主義 者 」 は これ と は 逆 に 、 非常 に 長い ( 『 イーリアス 』 が 15 , 337 行 、 『 オデュッセイア 』 が 12 , 109 行 ) 詩 で ある に も かかわら ず 見 られる 構成 と 文体 の 統一 性 を 強調 し 、 作者 ホメーロス が その 時代 に 存在 し て い た さまざま な 素材 から 我々 が 今日 知っ て いる 詩 を 構成 し た の だ という 説 を 擁護 し た { 要 出典 | date = 2010 年 4 月 }。
『 イーリアス 』 が 先 に 、 紀元前 8 世紀 前半 頃 に 創作 さ れ 、 『 オデュッセイア 』 が 後 に 、 紀元前 7 世紀 末 頃 に 創作 さ れ た 可能 性 も ある 。
筆記 者 たち は それぞれ の バージョン を 記録 し て 1 つ に まとめ 、 それ が 今日 『 イーリアス 』 と 『 オデュッセイア 』 と 呼ば れる もの と なっ た 。
アリストパネース を 引き継い だ サモトラケ の アリスタルコス が 『 イーリアス 』 と 『 オデュッセイア 』 の 注釈 を 書き 、 また ペイシストラトス の 命 により 確立 さ れ た アッティカ の テクスト と 、 ヘレニズム 時代 に なさ れ た 追加 部分 と を 区別 しよ う と 試み た 。
しかし ホメーロス は 英雄 たち に 「 鉄 の 心臓 」 を 与え 、 『 オデュッセイア 』 で は 鍛冶 場 で 焼き を 入れ られ た 鉄 斧 の 立てる 音 の こと を 語っ て いる 。
オデュッセイア の 旅程 の 地理 関係 も そう で ある よう に 、 これ は 混淆 による 詩的 な 世界 を 表し て いる 。
古代 ギリシア で の 星座 へ の 言及 で 最も 古い もの は 、 紀元前 9 世紀 の ホメロス の 二 大 叙事詩 『 イリアス 』 『 オデュッセイア 』 で 、 星座 名 として は おおぐま 座 、 オリオン 座 、 うし かい 座が 登場 し た 。