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大型 の 大砲 が 開発 れ た と は 言え 、 この 時期 の 砲弾 は 性能 が 低く 、 効果 的 に 敵艦 を 無力 化 する に は 衝角 攻撃 が 主流 で あっ た 。

ツイン・スケグ と は 、 船底 部 から スクリュー 軸 を 伝う よう に 垂直 に 伸ば れ た 鰭 状 の 構造 物 を 設け 、 そのまま スクリュー プロペラ の 背後 に 主 舵 を 配置 する 形式 の 事 で 、 スクリュー で 生じ た 水流 の 真後ろ に 舵 が 配置 れる ため に 舵 効き が 良く 、 また 、 スケグ が スクリュー 軸 を 囲っ て 守る ので スクリュー に 異物 が 巻き つい て 行動 不能 に なる の を 防ぐ 効果 も 有っ た 。

船体 に 大砲 や 装甲 板 など の 重量 物 を 搭載 する ため に 安定 性 を 重視 し て ずんぐり と し た 船体 形状 に なる ため に 運動 性 が 低く なり やすい 装甲 艦 に は 必須 の アイディア で あっ た が 、 船体 形状 の 複雑 化 による コスト の 問題 も あり 、 この 形式 を 積極 的 に 採用 し た の は 第 一 次 世界 大戦 後 の アメリカ 新 戦艦 くらい で 、 この 時代 の 主力 艦 に 採用 れ た の は まに 時代 を 先取り し た と しか 言い様 の 無い 意欲 的 な 設計 で ある 。

しかし 、 砲弾 の 性能 が 良く なく 、 火薬 庫 等 に 命中 し ない かぎり 敵艦 を 大破 せる の は 難しかっ た 。

この 事 も あっ て か 、 後 に 米国 製 の パロット 砲 に 備砲 を 換装 れ て いる 。

砲 廓 部 の 床 面 に は 、 ピポッティング・スライド・キャリッジ ( Pivotting Slide Calliage ) と 呼ば れる 円弧 状 の レール が 敷設 れ 、 その 上 に 置か れ た 砲 架 を 旋回 ・ 移動 せる 事 により 、 砲 郭 から 大砲 を 出し た 砲身 を 出し た 際 に 砲門 を 支点 として 砲 尾 部 を 扇状 に 動かす こと により 広い 射 界 が 得 られ た 。

本 艦 の 防御 要求 は 対 15 インチ 砲 防御 を 目標 として 設計 れ 、 北 軍 の 持つ あらゆる 種類 の 艦 砲 に対して 貫通 れ ない 防御 力 が 要求 れ た 。

砲 郭 部 の 形状 は 前後 ともに 横 方向 に 広い 楕円 形 を し て おり 、 当時 の 低い 工作 技術 で 複雑 な 曲線 の 船体 に 装甲 板 を 満遍なく 貼り 付ける フランス の 建 艦 技術 の 高 が 伺える 。

砲 郭 部 に は 船体 構造 部 と は 別個 に 装甲 板 を 装着 する ため の コーキング と 呼ば れる 緩衝 材 が 構造 材 から 上 に 貼り 付け 、 その 上 に アーマーパッキング ( 砲弾 が 命中 し た 際 に ショック を 和らげる ため の 緩衝 材 ) として 厚 80 mm の チーク 材 が 更に 貼り 付け られ た 。

この アーマーパッキング に 装甲 板 を 専用 の ボルト で 螺子 止め し て 装着 れる 。

本 艦 の 砲 郭 部 に は 装甲 板 の 材質 は 粘り気 の ある 錬鉄 製 で 前述 の アーマーパッキング の 上 から 厚 102 mm から 140 mm の 装甲 を 貼っ た 。

本 艦 は 高 2 . 7 m の 装甲 板 を 水線 部 を 0 として 上 方向 に 1 . 5 m 、 水線 下 に 1 . 2 m も の 範囲 で 舷側 を 覆っ て い た 。

らに 、 その 装甲 板 の 上 から 厚 約 32 mm ( 1 . 25 インチ ) の 装甲 を 貼る 複合 装甲 を 採用 し て い た 。

本 艦 の 主 機関 は ル・アーヴル の マゼリン 鉄工 所 で ボイラー と レシプロ 機関 が 共に 製造 れ て 搭載 れ た 。

マゼリン 式 チューブラーボイラー 2 基 と マゼリン 式 水平 型 レシプロ 機関 2 基 2 軸 が 組み合わせ られ 、 推進 機関 で ある レシプロ 機関 は 1 基 あたり 600 馬力 の 出力 が あり 、 それ を 2 基 搭載 れ た ので 最大 出力 は 1 , 200 馬力 を 発揮 でき た 。

同時に 燃料 消費 量 から 計算 し て 石炭 200 トン を 満載 し て 9 ノット で 1 , 200 海里 を 航行 できる と 計算 れ た 。

しかし 奥羽 越 列藩 同盟 が 崩壊 し 、 榎本 武揚 ら 旧 幕府 海軍 が 蝦夷 地 へ 渡っ て 所 謂 「 蝦夷 共和 国 」 を 樹立 せ た 頃 に は 、 明治 政府 が 新た なる 政府 で ある こと を 認め て 局外 中立 を 撤廃 。

1874 年 8 月 19 日 に 長崎 港 に 停泊 中 に 台風 により 沈没 し た が 、 程なく 浮揚 れ て 横須賀 海軍 工廠 で 復旧 修理 の 上海 軍 に 復帰 し 、 西南 戦争 で は 瀬戸内海 の 警備 任務 に つい た 。

購入 から 17 年 後 の 1888 年 に 除籍 れ た 。

解体 の ため 民間 に 売却 れ た 東 艦 の 装甲 板 は 上質 で あっ た ので 浅草 火力 発電 所 の 変圧 器 の 鉄 芯 に 再 利用 れ た 。