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7 月 の 改正 は 北海道 で の もの で 、 札幌 - 旭川 間 を ノンストップ で 結ぶ 急行 「 ちか ぜ 」 が 新設 れる など し て いる 。

これ に 伴い 山陽本線 の 並行 区間 を 走行 する 優等 列車 が 削減 れる 一方 、 岡山 駅 で 接続 を 図る 山陽本線 岡山 以西 ・ 伯備線 ・ 宇野線 、 らに 四国 各線 で は 列車 輸送 体系 の 見直し と 列車 増発 が 図ら れ 、 四国 初 の 特急 列車 と なる 「 し お かぜ 」 ・ 「 南風 」 も 新設 れ た 。

これ に 伴い 、 新た に 製造 れ た 183 系 電車 を 使用 し て 千葉 県 ( 常磐線 を 除く ) 初 の 特急 列車 として 「 わかし お 」 ・ 「 ざなみ 」 も 新設 れ て いる 。

これ に あわせ て 全国 規模 の ダイヤ 改正 が 行わ れ 、 列車 が 増発 れる ほか 、 北陸 方面 の 連絡 を 考慮 し て 米原 駅 に 「 ひかり 」 が 停車 する よう に なっ たり し た 。

北海道 で は 初めて 函館 駅 で なく 札幌 駅 を 起点 と する 網走 駅 まで の 特急 「 オホーツク 」 が 新設 れ た 。

3 月 1 日 に 主 に 東京 以西 で 列車 が 増発 れる 小規模 改正 が 実施 れ た 。

また 、 4 月 1 日 に は 東京 駅 新幹線 工事 の 関係 で 、 東京 発着 の 東北 ・ 常磐 ・ 高崎 線 方面 の 特急 列車 が 上野 発着 に 統一 れ た 。

5 月 27 日 に 中央西線 ( 中央 本線 の 塩尻 駅 以西 ) の 電化 が 完成 し た こと から 、 7 月 10 日 に 同線 で ダイヤ 改正 が 実施 れる 。

この 改正 で 振り子 電車 と 呼ば れる こと に なる 381 系 電車 が 同線 の 特急 「 しな の 」 に 投入 れ 、 曲線 区間 の 多い 同線 で の 速度 向上 に 貢献 し た 。

10 月 1 日 に は 四国 ・ 九州 除く ほぼ 全域 で ダイヤ が 改正 れ 、 再び 山陽本線 岡山 駅 以西 など の 優等 列車 が 増発 れ た 。

4 月 25 日 、 日豊本線 が 宮崎 駅 まで 電化 れ た こと による ダイヤ 改正 が 行わ れ た 。

特急 「 日向 」 が 電車 化 れ 、 博多 - 宮崎 間 を 鹿児島本線 ・ 肥薩線 ・ 吉都線 経由 で 結ぶ 特急 「 おお よど 」 が 新設 れ て いる 。

山陽本線 で は 、 山陽新幹線 が 開業 する 前 の 最後 の 輝き を 見せる こと に なり 、 客車 寝台 特急 「 あかつき 」 「 彗星 」 が らに 増発 れ 、 また 初めて B 寝台 を 2 段 化 し た 24 系 25 形 客車 が 「 あかつき 」 「 彗星 」 に 投入 れ た 。

その 反面 、 電車 寝台 特急 「 明星 」 1 往復 が 臨時 列車 に 格下げ れ て いる 。

この 改正 は 当初 、 4 月 10 日 に 実施 れる 予定 で あっ た が 、 労使 間 の 対立 が こじれ た 結果 、 4 月 25 日 まで 伸び た もの で ある 。

これ に 伴い 山陽本線 の 優等 列車 は 大幅 に 削減 れ て いる 。

らに 労使 関係 も 悪化 し 、 この 年 は 、 前述 の 7 月 18 日 北海道 内 ダイヤ 改正 が 当初 予定 の 7 月 1 日 から 延期 れ た ほか 、 11 月 26 日 から 12 月 3 日 に 至る まで 8 日間 も 国鉄 労働 組合 ( 国労 ) ・ 国鉄 動力 車 労働 組合 ( 動労 ) など による ストライキ が 打ち抜か れ 、 全国 の 国鉄 線 は 一部 を 除い て 完全 に 停止 し た 。

なお 、 12 月 14 日 に は 室蘭本線 で C 57 135 による 蒸気 機関 車 牽引 最後 の 旅客 列車 が 運転 れ 、 12 月 24 日 に は 夕張線 ( 現在 の 石勝線 ) で D 51 241 牽引 の 最後 の 蒸気 機関 車 による 貨物 列車 が 運転 れ た 。

これ により 蒸気 機関 車 は 本線 上 から 姿 を 消し 、 1959 年 ( 昭和 34 年 ) に 制定 れ た 「 動力 近代 化 計画 」 が 1 年 遅れ ながら 達成 れる こと に なっ た ( 入 換用 として は 、 9600 形 3 両 が 追分 駅 の 近く の 追分 機関 区 で 1976 年 ( 昭和 51 年 ) 3 月 まで 使用 れ た ) 。

流川 の 名 は 地下 化 れ た 川 に 由来 し 、 今 も 名残 橋 という 橋 の 欄干 の 一部 が 残る 。