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こうして 国鉄 線 内 で は 庭 坂 に 16 両 、 人吉 に 10 両 を 残す 形 と なっ た 4110 形 で あっ た が 、 戦時 体制 下 に 入っ て 再び 奥羽本線 の 輸送 需要 が 増し た こと から 1941 年 ( 昭和 16 年 ) 3 月 に は 4115 、 1943 年 ( 昭和 18 年 ) 6 月 に 4135 が 人吉 から 庭坂 に 転属 、 肥薩線 で は その 代 機 として D 51 形 が 順次 入線 、 1945 年 ( 昭和 20 年 ) 以降 は 全面 的 に 置き換え が 行わ れ 、 同年 11 月 に 4113 ・ 4137 、 1946 年 ( 昭和 21 年 ) 9 月 に 4114 ・ 4136 を 庭 坂 に 転属 せ た 。

しかし 、 4114 ・ 4136 は 状態 が 悪い こと から 奥羽本線 で は 使用 れる こと なく 部品 取り 用 と れ 、 同様 に 休 車 と なっ て い た 4146 および 肥薩線 の 余剰 車 4 両 とともに 1947 年 ( 昭和 22 年 ) 6 月 に 廃車 として 一部 の 機関 車 運用 を 他 区 から 転属 の 9600 形 で 代替 する こと と なっ た 。

戦時 中 以来 の 酷使 による 状態 不良 と 石炭 事情 の 悪化 により 勾配 上 で の 途中 停車 や 空転 、 煙害 の 深刻 化 といった 問題 を 抱え ながら 奥羽本線 で 運用 れ て き た 庭坂 機関 区 の 残存 機 も 、 1948 年 ( 昭和 23 年 ) 5 月 に E 10 形 の 登場 によって 4115 ・ 4122 ・ 4137 が 、 1949 年 ( 昭和 24 年 ) 9 月 に は 板谷 峠 電化 によって 4113 ・ 4117 ・ 4119 ・ 4123 ・ 4124 ・ 4126 ・ 4128 ・ 4129 ・ 4132 ・ 4134 が 、 1950 年 ( 昭和 25 年 ) 1 月 に 4140 - 4145 が 廃車 と なり 国鉄 から 姿 を 消し た 。

4145 は 廃車 直前 に 岡山 に 転属 と なり 、 機関 車 不足 に 悩ん で い た 片上 鉄道 へ 貸し出 れ て 硫化 鉄鉱 石 輸送 に 使用 れ た 後 、 C 13 形 の 就役 と 入れ替わり に 返却 れ 、 そこで 廃車 と なっ て いる 。

一部 は 松尾 鉱業 鉄道 と 美唄 鉄道 に 譲渡 れ 、 松尾 鉱業 鉄道 で は 1951 年 の 電化 まで 、 また 美唄 鉄道 で は 1972 年 の 廃 線 まで 使用 れ た 。

内地 の ほか 朝鮮半島 へ は 、 1938 年 に は 、 4 両 が 標準軌 に 改 軌 の 上 で 鴨 緑 江 の 水 豊 ダム 建設 の ため に 建設 れ た 平 北 鉄道 に 、 らに 1939 年 に 1 両 ( 番号 不明 ) が 、 土崎 工場 で 改 軌 の うえ 虚 川 江 ダム の 建設 と 地下 資源 の 運搬 の ため 建設 れ た 端 豊 鉄道 に 移っ て いる が 、 その後 の 行方 は いずれ も 明らか で は ない 。

300 形 は 、 台湾 総督 府 鉄道 縦貫 線 の 西海岸 の 勾配 区間 用 として 製造 れ た 鉄道 院 4110 形 の 同形 機 で ある 。

製造 番号 292 - 296 ) の 計 11 両 が 汽車 製造 により 製造 れ 、 苗 栗 庫 に 配置 れ た 。

1937 年 に は 、 E 43 形 に 改称 れ た が 、 番号 の 変更 は なかっ た 。

美唄 鉄道 向け に 、 1920 年 に 2 両 ( 2 , 3 ) 、 1926 年 に 1 両 ( 4 ) が 三菱 造船 所 により 製造 れ て いる 。

2 , 4 が 1972 年 ( 昭和 47 年 ) の 美唄 鉄道 廃止 まで 使用 れ た 。

美唄 鉄道 の 2 が 、 美唄 市 東明 旧 美唄 鉄道 東明 駅 跡 に 保存 れ て いる ほか 、 同社 の 4 も 江別 市内 にて 日本 鉄道 保存 協会 が 保存 し て いる が 非公開 で ある 。

国鉄 の 動輪 5 軸 の 機関 車 として は 、 4100 形 、 4110 形 の ほか に 、 1948 年 ( 昭和 23 年 ) に 製造 れ た E 10 形 が ある 。

動輪 5 軸 の 機関 車 は 、 高い 牽引 力 を 必要 と する 急 勾配 線区 や 重 貨物 列車 の 牽引 に 適し 、 アメリカ合衆国 や ドイツ 、 ソ連 や 中国 など において 、 日本 で は 採用 例 の ない テンダー 機関 車 を 含む 5 動 軸 の 蒸気 機関 車 が 大量 に 製作 れ た 。

テキサス ( ホワイト 式 で 2 - 10 - 4 、 AAR 式 で 1 E 2 ) や サザン・パシフィック ( ホワイト 式 で 4 - 10 - 2 、 AAR 式 で 2 E 1 ) といった 運行 れる 地域 名 や 鉄道 名 を 冠し た 軸 配置 名 が 存在 する こと でも 明らか な よう に 南部 で の 採用 例 が 多く 、 その 採用 は 複雑 な 関節 式 機関 車 に 躊躇 する 保守 的 な 鉄道 を 中心 に 第 二 次 世界 大戦 期 まで 続い た 。

ドイツ で は 統一 前 の 各 邦国 が 建設 し た 官有 鉄道 の 時代 から 、 プロイセン 官有 鉄道 G 82 ・ G 10 形 や バイエルン 官有 鉄道 G 4 / 5 H ・ G 5 / 5 形 を はじめ 5 動 軸 テンダー 機 が 多数 採用 れ 、 統一 後 も 44 形 、 50 形 、 そして 戦時 量産 機 として 空前 の 大量 生産 が 実施 れ た 52 形 、 と 多数 の デカポッド ( ホワイト 式 で 2 - 10 - 0 、 AAR 式 で 1 E ) テンダー 機 が 製造 れ て いる 。

これら 、 特に 52 形 は 戦後 、 ドイツ 占領 地域 で あっ た 各国 の 鉄道 に も 継承 れ 、 それら の 各 鉄道 で その後 も 長く 運用 れ た 。

ソ連 で は 帝政 ロシア 時代 に アメリカ の アルコ 社 と ボールドウィン 社 に 大量 発注 し た 、 俗 に 言う 「 ロシアン・デカポッド 」 を はじめ 5 動 軸 テンダー 機 が 好ま れ 、 多数 が 製造 ・ 運用 れ た 。

中国 で は 戦前 、 日本 の 勢力 下 に あっ た 南 満州 鉄道 が 1919 年 に アメリカ から 貨物 用 の デカポッド・テンダー 機 を 輸入 し 、 後年 に 満 鉄 の 自社 工場 で 追加 製造 し た もの を 含め 計 62 両 が デカイ 形 として 運用 れ た 。

これら の 他 、 蒸気 機関 車 発祥 の 地 、 イギリス で 製造 れ た ユニーク な 機関 車 として 、 1902 年 に グレート イースタン 鉄道 で 製作 れ た 3 シリンダー の 0 - 10 - 0 形 機 を 挙げる こと が できる 。