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そして 、 現在 に 至る まで 精鋭 部隊 を 意味 する 名誉 称号 として 歩 部隊 に “ 擲弾 ” の 名 を 冠する 習慣 が 続い て いる 。

なかでも 、 浸透 戦術 による 塹壕 陣地 突破 の ため に ドイツ で 編成 さ れ た Stoßtrupp 部隊 は 、 短 機関 銃 を 装備 し て おり 手榴弾 を 武器 と する 擲弾 を 擁し て い た ため 、 近接 戦闘 において 高い 掃討 能力 を 持っ て い た 。

その後 は 各種 の 擲弾 発射 装置 と 、 さらに 掃射 能力 の 高い 自動 小銃 の 普及 も あっ て 、 現代 歩 の 多く は 打撃 の 主体 で ある 擲弾 と SAW を 補助 する 掃射 手 を 兼ねる 存在 として 戦闘 を 行う 事 が 多く なっ て おり 、 今後 も その 割合 は 増え 続ける と 予想 さ れ て いる 。

そして 、 1670 年代 に は 各 歩 連隊 に 精強 な 士 を 集め た 擲弾 中隊 が 編成 さ れ 、 他 の 国 で も それ に 倣う よう に なっ た 。

また 、 全 中隊 を 擲弾 で 編成 し た 擲弾 連隊 も 編成 さ れ た 。

フリードリヒ 隊 王 の 軍 に は 「 装甲 擲弾 」 ( Panzergrenadier ) と 呼ば れる 、 怪力 の 大男 を 集め た 部隊 が 存在 し た 。

後世 における Panzergrenadier の 日本語 語 から 遡っ て 、 この 時代 において の 装甲 擲弾 も その よう に 訳さ れ て いる が 、 この 時代 の Panzer は 、 本来 は 装甲 と いう より 鎧 と 訳す べき 言葉 で ある 。

また 、 擲弾 は 人力 で 投擲 し て 届く 距離 まで 敵陣 に 接近 し なけれ ば なら ず 、 戦列 歩 方式 による 銃 隊 の 運用 が 確立 さ れる と 、 接近 する 前 に 擲弾 は 射殺 さ れ て しまう よう に なっ た 。

その ため 、 擲弾 は 次第に 使用 さ れ なく なっ た が 、 勇敢 で 体格 に 優れ た 士 を 集め た 擲弾 中隊 は 、 歩 連隊 の 精鋭 中隊 として 戦術 上 重要 な 局面 に 投入 さ れ 続け た 。

また 、 複数 の 連隊 の 擲弾 中隊 を 集め て 擲弾 大隊 を 編成 し 、 精鋭 大隊 として 運用 さ れる こと も あっ た 。

部隊 として の 擲弾 中隊 は 、 19 世紀 中頃 まで 歩 連隊 に 置か れ て い た が 、 次第に 名誉 称号 と なっ て いっ た 。

画像 : Inf . Regiment Nr . 3 . jpg | 17 世紀 末 の ブランデンブルク 歩 連隊 擲弾

右 から 二 番目 が 擲弾

File : Prussian Grenadier Cap . jpg | プロイセン の 擲弾 帽 。

画像 : Hohenfriedeberg - Attack of Prussian Infantry - 1745 . jpg | 1745 年 、 プロイセン 擲弾 の 突撃 。

左 から 砲 、 歩 、 擲弾 、 戦闘 工

画像 : Napoleon Grenadier of 1808 by Bellange . jpg | ナポレオン 軍 の 擲弾 ( 左 ) 背 の 低い 士 が 選ば れ た 選抜 歩 ( 右 ) と の 背丈 の 違い を 表し て いる 。

1815 年 擲弾 の 称号 が 与え られ 、 連隊 の 全 士 に 擲弾 帽 の 着用 が 許さ れ た 。

1831 年 から は 全 近衛 が 擲弾 帽 を 着用 する よう に なる 。

将校 ( 中央 )、 戦列 歩 ( 左 )、 擲弾 ( 右 ) 19 世紀 中頃 から 銃砲 の 技術 革新 が 進む と 、 それ まで 防御 戦 の 主役 だっ た 城塞 の 存在 価値 は 完全 に 失わ れ た 。