更に 、 暇 を 持て余し た 富裕 市民 の 息子 達 は ソクラテス を 面白 がっ て 追い回し 、 その 試問 を 傍聴 し 、 その 中 から は 影響 さ れ て 試問 を 模倣 する 者 達 も 現れ 、 そんな 青年 達 の 試問 の 餌食 と なっ た 人々 も また 、 ソクラテス へ の 憎悪 を 募ら せる こと と なっ た 。
この ため 、 ソクラテス は 「 アテ ナイ の 国家 が 信じる 神 々 と は 異なる 神 々 を 信じ 、 若者 を 堕落 さ せ た 」 など の 罪状 で 公開 裁判 に かけ られる こと に なっ た 。
刑 量 の 申し出 で は 常識 に 反する 態度 が かえって 陪審 員 ら の 反感 を 招き 大 多数 で 死刑 が 可決 さ れ た 。
当時 は 死刑 を 命じ られ て も 牢番 に わずか な 額 を 握ら せる だけ で 脱獄 可能 だっ た が 、 自身 の 知 へ の 愛 ( フィロソフィア ) と 「 単に 生きる の で は なく 、 善く 生きる 」 意志 を 貫き 、 票決 に 反し て 亡命 する という 不正 を 行なう より も 、 死 と共に 殉ずる 道 を 選ん だ と さ れる 。
( ただし 『 パイ ドン 』 は 、 中期 の 作品 で あり 、 プラトン 自身 の 思想 が かなり 強く 反映 さ れ て いる 。
それ に も 拘ら ず 、 彼 が 特筆 さ れる 理由 は 、 むしろ その 保守 性 を 過激 に 推し進め た 結果 として の { 要 出典 | date = 2012 年 8 月 }、「 無知 の 知 」 を 背景 と し た 、 「 知っ て いる こと と 知ら ない こと 」 「 知り 得る こと と 知り 得 ない こと 」 の 境界 を 巡る 、 当時 として は 異常 な まで の 探究 心 ・ 執着心 、 節制 し た 態度 に ある { 要 出典 | date = 2012 年 8 月 }。
「 人間 に は 限界 が ある が 、 限界 が ある なり に 知 の 境界 を 徹底的 に 見極め 、 人間 として 分 を わきまえ つつ 最大限 善く 生きよ う と 努める 」 、 そういった 彼 の 姿勢 が 、 その 数 多く の 内容 的 な 欠陥 ・ 不備 ・ 素朴 さ { 要 出典 | date = 2012 年 8 月 } に も かかわら ず 、 半端 な 独断 論 に 陥っ て いる 人々 より は 思慮 深く { 要 出典 | date = 2012 年 8 月 }、 卓越 し た 人物 で ある と 看做さ れる 要因 と なり 、 哲学 者 の 祖 の 一 人 として の 地位 に 彼 を 押し上げる こと と なっ た 。
まず 、 彼 に 先行 する 哲学 者 や ソフィスト 達 は 、 ほとんど が アナトリア 半島 ( 小 アジア 半島 ) 沿岸 や 黒海 周辺 、 あるいは イタリア 半島 の 出身 で あり 、 ギリシャ 世界 における 知的 活動 は 、 こう いっ た 植民 市 ・ 辺境 地 によって 先導 さ れ て き た もの で あり 、 アテ ナイ を 含む ギリシャ 中心 地域 は 、 それ と 比べる と 、 古く から の 神話 や 伝統 に 依存 し た 保守 的 な 土地 柄 で あっ た という 全体 像 を 確認 し て おく 必要 が ある 。
ソクラテス が 生き た 紀元前 5 世紀 当時 の アテ ナイ は 、 ペルシャ 戦争 を 経 て ギリシャ 世界 の 中心 地 として の 地位 を 確立 し 、 最盛 期 を 迎える と共に 、 徹底 し た 民主 政 が 確立 さ れ た 時代 から 、 ペロポネソス 戦争 の 敗戦 後 状況 による 社会 的 、 政治 的 混乱 を 経 て 没落 し て いく 時代 に またがっ て いる 。
当然 そこ に は 、 辺境 地 の 哲学 者 達 の 知識 や 、 優秀 な ソフィスト 達 が 集まっ て くる し 、 民主 政 における 処世 術 や 弁論 術 を 学ぶ べく 、 彼ら は 歓迎 さ れる こと に なる 。
しかし 、 ペロポネソス 戦争 の 敗戦 と その後 の 三 十 人 政権 による 恐怖 政治 に対する 怨念 が 渦巻く アテ ナイ で は 、 ソクラテス は 他 の ソフィスト や 唯物 論 ・ 無神 論 哲学 者 達 と 同類 の 、 アテ ナイ を 堕落 さ せ た 危険 思想家 の 一 人 と 看做さ れ 、 政治 的 に 敵視 さ れる こと と なり 、 ソクラテス は 裁判 に かけ られ 、 ( 死 を 恐れ ない と 豪語 し 自説 を 決して 曲げ ない 姿勢 が 心象 を 悪く し た こと も あっ て ) 死刑 と なる 。
ソクラテス は アポロン の 託宣 を通じて もっとも 知恵 の ある 者 と さ れ た 。
ソクラテス は これ を 、 自分 だけ が 「 自分 は 何 も 知ら ない 」 という こと を 自覚 し て おり 、 その 自覚 の ため に 他 の 無自覚 な 人々 に 比べ て 優れ て いる の だ と 考え た と さ れる 。
この よう に 、 死後 について は 「 知ら ない 」 が 、 それ を 自覚 し て いる が ゆえに 、 それ について の 諸説 を 冷静 に 「 知る 」 こと が できる し 、 ひいては どちら に 転ん で も 自分 や 善き 生 を 送っ た 者 にとって 幸福 で ある こと も 「 知る 」 こと が でき 、 だから 死 を 恐れ ず に 善き 生 を まっとう できる 、 対照 的 に 、 知 に対する 節度 を わきまえ ない 独断 論 者 たち は 、 どこ か で つまずき 、 知り も し ない こと に 踊ら さ れ 、 翻弄 さ れ 、 そう は なら ない 、 といった 具合 に 、 「 善き 生 」 と 「 無知 の 知 」 は ひとつ の 円 環 を 成し 、 「 無知 の 知 」 は 「 善き 生 」 にとって の 必須 条件 と なっ て いる 。
ソクラテス の もちい た 問答 法 は 、 相手 の 矛盾 や 行き詰まり を 自覚 さ せ て 、 相手 自身 で 真理 を 発見 さ せ た 。
ポリス の 自由 市民 達 が 尊ぶ 徳 ・ 正義 ・ 善 ・ 敬虔 ・ 節制 ( 分別 ) ・ 勇気 … … と は 一体 何 な の か 、 あるいは 、 それ を 教える と 称する ソフィスト 達 、 彼ら が 駆使 する 社会 操縦 術 ( 説得 術 ) で ある 弁論 術 ( レトリケー ) 等 は 、 一体 何 で ある の か 、 そういった 曖昧 な まま 放置 さ れ て いる 物事 を 、 再度 入念 に 吟味 ・ 検証 する こと を 彼 は 要求 する 。
しかしながら 、 そうして ソクラテス を 非難 する 人々 が 拠っ て 立っ て いる 考え の 曖昧 さ で すら 、 ソクラテス にとって は 明確 化 の 対象 で あり 、 そういった 人々 も また 、 格好 の カモ { 要 出典 | date = 2012 年 8 月 } として 、 ソクラテス の 明確 化 の 渦 の 中 に 巻き込ま れ て いく こと に なる 。
こうして 、 タレース など ミレトス 学派 ( イオニア 学派 ) に 始まる 自然 哲学 と は 対照 的 な 、 人間 ・ 社会 にまつわる 概念 を 執拗 に 吟味 ・ 探求 する 哲学 が ソクラテス によって 開始 さ れ 、 後に その 弟子 で ある プラトン 、 更に その 弟子 で ある アリストテレス が 、 ( ピタゴラス 教団 や エレア 派 の 影響 を 受け つつ ) 形而上学 を そこ に 持ち込む こと によって 、 その 両者 ( 「 自然 」 と 「 人間 ・ 社会 」 ) の あり方 の 説明 を 、 包括 的 に 一つ の 枠組み に 統合 ・ 合理 化 し た という 見解 が 、 一般 的 に 広く 受け入れ られ て いる 。
『 ソクラテス の 弁明 』 の 続編 で ある 『 クリ トン 』 において 、 死刑 を 待ち 、 拘留 さ れ て いる ソクラテス に 逃亡 を 促し に 来 た 弟子 の クリ トン に対して 、 彼 は 「 国家 」 「 国法 」 という 架空 の 対話 者 を 持ち出し 、 「 我々 の 庇護 の 下 で おまえ の 父母 が 結婚 し 、 おまえ が 生まれ 、 扶養 さ れ 、 教育 さ れ た 。
祖国 と は 、 父母 や 祖先 より も 貴く 、 畏怖 さ れ 、 神聖 な もの で ある 。