ちょうど 、 その 10 世紀 頃 に 、 「 兵 」 ( つ わ もの ) と 呼ば れる 武人 が 、 記録 や 伝承 の 上 に 姿 を 現す 。
もちろん 、 『 今昔 物語 集 』 巻 第 25 第 5 「 平維茂 、 藤原 諸 任 を 罰 ち たる 語 」 に 、 「 騎馬 の 兵 70 人 、 徒歩 の 兵 30 人 」 と ある よう に 、 歩兵 も いる が 、 歩兵 の 戦闘 描写 は 見 られ ない 。
軍団 解消 は 、 軍団 歩兵 の 解消 で あっ て 、 上 兵 で ある 騎兵 は 、 人数 として は 縮小 さ れ ながら も 諸国 において は 「 健児 制 」 として 継承 さ れ た と も 言える 。
また 、 「 棟梁 」 級 の 武士 を 追え ば 確か に 天 慶 の 勲功 者 に つながる 「 武者 」 「 兵 の 家 」 の 者 だ が 、 「 武士 団 」 を 追え ば 必ずしも それ ばかり で は ない 。
例えば 、 南北 朝 時代 に 武蔵 七 党 と 呼ば れ た 小 武士 団 は 、 明らか に 「 兵 の 家 」 の 出身 と 言える もの ばかり で は ない 。
僦馬 の 党 は 騎馬 を ベース と し た 機動 力 を 最大限 に 発揮 し た 武装 集団 で あり 、 それ を 鎮圧 しよ う と する 「 兵 ( つ わ もの ) 」 も また 騎馬 武者 で なけれ ば なら なかっ た だろ う 。
馬 は 兵 が 兵 たる ため の 第 一 の 条件 で あり 、 その ため 「 名馬 」 は 武士 の 一番 の 財産 で あっ た 。
平将門 の 乱 以降 は 、 その 平将門 を 滅ぼし た 天 慶 勲功 者 、 藤原 秀 郷 、 平貞盛 、 平 公 雅 、 そして 源経基 の 子孫 達 が 、 「 朝家 の 爪牙 」 と なっ て いっ た が 、 その 彼ら が 兵 ( つ わ もの ) として 認識 さ れる に は 、 一定 の プロセス が 必要 で あっ た 。
家系 として の 「 兵 の 家 」 の 形成 過程 で 忘れ て は なら ない の が 、 10 世紀 後半 に 現役 武官 で は ない のに 「 朝家 の 爪牙 」 として 動員 さ れ た こと で ある 。
一方 、 召集 さ れ た 側 の 家系 は 「 朝家 の 爪牙 」 として 自己 を アピール し 、 その後 の 時代 に 「 兵 の 家 」 として の 認識 を 定着 し て ゆく 。
「 大 索 ( おお あ なく り ) 」 は 結果 的 に は 官職 に よら ず 「 武 」 を 担う 、 「 兵 の 家 」 の 最初 の 認定 式 で あっ た と も 言える 。
その 「 兵 の 家 」 が 定着 し て いく の は 、 ちょうど 藤原 道長 の 時代 から で あり 、 「 武 」 に 限ら ず 、 貴族 社会 全般 に 「 家格 」 と 「 家業 」 が 固定 化 の 方向 へ 向かう 流れ の 中 で の 出来事 で ある 。
それ は 、 京 の 治安 維持 に 必要 な 武力 が 、 旧来 の 武官 や 、 随身 だけ で は 間に合わ なく なり 、 平将門 の 乱 で の 「 朝家 の 爪牙 」 の 役 を 果たし た 「 兵 の 家 」 が 、 「 家業 」 として 、 「 武 」 を 請け負い はじめる という こと でも あっ た 。
「 兵 」 の 需要 は あっ た が それほど 大きな もの で は なかっ た と も いえる 。
国司 直属 軍 - 「 館 の 者共 」 ( 国司 の 私的 従者 + 在庁 官 人 ) と 異なり 、 「 国 の 兵 共 」 は 、 「 譜第 図 」 「 胡 簗 注文 」 など の 台帳 に 記載 さ れ 、 国司 主催 の 狩り や 、 一宮 で の 流鏑馬 など 、 必要 に 応じ て 招集 さ れる 程度 の もの で あり 、 自分 自身 の 直接的 利害 に 関わら なけれ ば 命 を 懸け て 戦っ たり は し ない 。
安田 元久 など の 旧来 の 学説 で は 、 在地 経営 が 私営 田 経営 で あっ た 平将門 から 平忠常 の 時代 は 、 「 兵 」 の 時代 で あっ て 、 「 武士 」 は その 次ぎ の 段階 で ある と する 。
安田 元久 ら の 学説 で は 「 武士 」 と 「 兵 」 の 違い は 「 領地 」 の 支配 形態 に もとめ られ た 。
「 国 の 兵 共 」 が 、 「 譜第 図 」 や 「 胡 簗 注文 」 など の 台帳 に 記載 さ れる という こと 自体 が 、 彼ら が 国衙 支配 下 の 開発 領主 達 の 中 で 特種 な 存在 で あっ た こと を 物語っ て いる 。
関東 を 意識 し て の 話 と なる が 、 記録 に 残る 開発 領主 と なっ た 武士 ら が 、 戦闘 集団 で ある 「 武士 団 」 を 組織 し た とき 、 それ は かき集め た 農民 兵 で は なく 、 また 「 傭兵 」 で も なく 、 領主 間 で 私的 に 結ば れ た 戦闘 集団 で ある 。
そして そこ から 「 武士 団 」 が 重層 的 な 関係 を 築く 段階 以降 を 「 武士 」 と 、 そして それ に 至る 前 段階 を 「 兵 ( つ わ もの ) 」 と 学術 用語 として 定義 し た の で ある 。