また 、 この アルバム は アメリカ で も 2008 年 まで に 700 万 枚 以上 を 売り上げ 、 7 倍 の マルチ ・ プラチナ ・ ディスク を 授与 さ れ て いる 。
この ベスト ・ アルバム 用 に 新た に 作り直さ れ 、 アルバム の 先行 シングル として リリース さ れ た の が 「 トップ ・ オブ ・ ザ・ワールド 」 で ある 。
A & M の 仕事 仲間 で あっ た ギル・フリーセン は 、 アルバム 『 ア・ソング・フォー・ユー 』 から は すでに 4 枚 も の シングル ( 「 ハーティング・イーチ・アザー 」 、 「 愛 に さよなら を 」 、 「 小さな 愛 の 願い 」 、 「 愛 は 夢 の 中 に 」 ) を カット し て いる こと を 理由 に 反対 し た が 、 それ に も かかわら ず 、 一般 から の 需要 は 高い という 判断 により 「 トップ ・ オブ ・ ザ・ワールド 」 を 1973 年 9 月 に シングル カット さ れ 、 同年 12 月 に ビル ボード HOT 100 において 2 週 連続 で 1 位 と なり 、 カーペンターズ にとって 2 枚 目 の 全米 1 位 シングル と なっ た 。
これ は もともと 1972 年 の アルバム 『 ア・ソング・フォー・ユー 』 に 収録 さ れ て い た もの だ が 、 カーペンターズ は その LP を リリース し た 2 年 後 に なっ て 、 この 曲 を シングル ・ カット する こと を 決定 し た 。
一方 、 同 1974 年 に は 『 ナウ・アンド・ゼン 』 に 収録 さ れ た ハンク ・ ウィリアムズ の 「 ジャンバラヤ 」 を アップ テンポ に リメイク し た 。
この 曲 は アメリカ で シングル として リリース さ れ た ほか 、 日本 の チャート で も 30 位 以内 に ランク イン し 、 イギリス を はじめ と する 他 の 多く の 国 で も ヒット し た 。
『 緑 の 地平線 〜 ホライゾン 』 は プラチナム・アルバム に 認定 さ れ た が 、 その後 ( アルバム から の 2 枚 目 の シングル が チャート から 消え て 以降 ) カーペンターズ にとって は 初めて マルチ・プラチナム に 達する こと の なかっ た アルバム と なっ た 。
1976 年 6 月 11 日 に 発売 さ れ た 次 の アルバム 『 見つめ あう 恋 』 も 、 ゴールド ・ ディスク に は 認定 さ れ た ものの 、 彼ら にとって は ファースト ・ アルバム 『 涙 の 乗車 券 』 以来 の 7 年間 で 初めて プラチナ 獲得 に 至ら なかっ た アルバム で ある 。
それでも 1976 年 の シングル ・ リリース は 成功 を 収め て い た が 、 当時 の ヒット ・ ラジオ 番組 は 音楽 的 スタイル を 変化 さ せ て おり 、 ついに は カーペンターズ の よう な 「 ソフト 」 な グループ の 多く を 苦しめる よう に なっ た 。
1975 年 の 初め に 、 彼ら は ディズニーランド で 「 プリーズ・ミスター・ポストマン 」 の 演奏 を 撮影 し て いる ほか 、 「 オンリー・イエスタデイ 」 を ハンティントン・ガーデン で 収録 し て いる が 、 ここ で の カレン は 健康 で 調子 良 さ そう に 見える 。
1977 年 から 1979 年 にかけて ディスコ ・ ブーム の 真只中 で あり 、 カーペンターズ や ジョン・デンヴァー ら 大人 向け の 「 イージー ・ リスニング 」 の アーティスト は 、 ラジオ など で 放送 さ れる 機会 が やや 減り つつ あっ た 。
1977 年 に リリース さ れ た カーペンターズ の 実験 的 な アルバム 『 パッ セージ 』 は 、 他 の 音楽 ジャンル へ 挑む こと によって 、 より 多く の 層 へ 訴え かけよ う と する 試み で あっ た が 、 ラテン 音楽 ( 「 一 人 に さ せ て 」 ) 、 カリプソ ( 「 恋 の 強がり 」 ) 、 ポップ ・ ソング ( 「 想い出 に さよなら 」 、 「 あの 日 、 あの 時 」 ) という 不釣合 いな 混ぜ合わ せ に 、 「 ふたり の ラヴ ・ ソング 」 ( アダルト・コンテンポラリー・チャート 4 位 ) 、 「 星空 に 愛 を ( コーリング・オキュパンツ )」 といった ヒット 曲 を 抱き合わせ た という もの で ある 。
リチャード は 『 パッ セージ 』 収録 曲 の 「 想い出 に さよなら 」 は 、 きっと ヒット する と 感じ て い た ため 、 A & M に シングル で の リリース を 決断 さ せ た 。
この 曲 は アン ・ マレー の シングル として 発売 さ れ 、 1979 年 の アダルト・コンテンポラリー および カントリー ・ チャート の 両方 で 1 位 を 獲得 し 、 リチャード の 感性 の 正し さ を 証明 し た 。
イギリス で は 2 作 目 の ベスト ・ アルバム " The Singles : 1974 - 1978 " が 発売 さ れ た 。
一方 アメリカ で は カーペンターズ 初 の クリスマス ・ アルバム 『 クリスマス・ポートレイト 』 が 発売 さ れ て その 季節 の 人気 作品 と なり 、 勢い の 衰え はじめ た この 時期 に あっ て は 意外 な 売れ行き を 見せ 、 カレン と リチャード に 再び プラチナム を もたらし た 。
カレン にとって は 不幸 な こと に 、 この アルバム は 発表 し ない もの と する 決定 が 下さ れ 、 この 作品 の 制作 費 として 印税 から 50 万 ドル 以上 の 負債 を 請求 さ れ た の で ある 。
この 決定 に 怒り を 覚え つつ も 、 ある 面 で は 慣れ ぬ 仕事 から 解放 さ れ た カレン は 、 依存 症 から 立ち直っ た 兄 と 新しい アルバム の 制作 に とりかかる 。
お 蔵 入り に なっ た カレン の ソロ ・ アルバム は 1996 年 10 月 に 『 遠い 初恋 』 として リリース さ れる まで 未 発表 だっ た が 、 録音 さ れ た 楽曲 の うち 4 つ は 1989 年 の カーペンターズ の アルバム 『 愛 の 軌跡 〜 ラヴラインズ 』 の 中 で 陽 の 目 を 見 た 。
その 際 に 「 イフ・アイ・ハド・ユー 」 は シングル として リリース さ れ 、 アダルト・コンテンポラリー・チャート で 20 位 以内 に ランク イン し た 。