終身 独裁 官 で あっ た カエサル に 随行 する リクトル は 元老 院 の 慣習 により 元老 院外 で 待機 、 腹心 の マルクス・アントニウス は ガイウス・トレボニウス によって 引き離さ れ て い た 。
カエサル は 、 輜重 を アドゥアトゥカ へ 置い た 上 で クィントゥス・キケロ に 守ら せ 、 海岸 地方 へ は ラビエヌス 、 アトゥアトゥキ 族 へ の 抑え に ガイウス・トレボニウス を 派遣 し た 。
元老 院 派 に 組 し た マッシ リア ( 現 : マルセイユ ) に対する 戦い ( マッシ リア 包囲 戦 ) で も カエサル より 船団 を 任さ れ ルキウス・ドミティウス 率いる 船団 の 迎撃 及び 同市 の 封鎖 を 行い 、 ガイウス・トレボニウス と共に マッシ リア 降伏 に 寄与 し た 。
これ に対し カエサル は 、 マルクス・アントニウス と ガイウス・トレボニウス に 騎兵 を 委ね て 迎撃 する よう 命じ た 。
ガイウス・トレボニウス は 紀元前 45 年 に カエサル の サブコンスル ( 執政 官 ) と なっ た が カエサル 暗殺 に 加担 し 、 紀元前 43 年 に スミルナ ( Smyrna 、 現 : イズミル ) で 殺害 さ れ た 。
なお 、 プブリウス が 父 の パルティア 遠征 に 従軍 する ため に ガ リア を 離れ た 後 も 、 プブリウス の 兄弟 で あっ た マルクス は クァエストル ( 財務 官 ) として ガ リア に 残り 、 『 ガリア 戦記 』 に よる と 、 紀元前 54 年 に ルキウス・ムナティウス・プランクス ( en ) や ガイウス・トレボニウス と共に 3 個 軍団 を 率い て ベルガエ 人 の 領地 へ 赴任 し た 。
ヒスパニア を 守備 し て い た ガイウス・トレボニウス を 圧迫 する 勢い で あっ た ため 、 紀元前 46 年 夏 に 凱旋 式 を 終え た カエサル は ヒスパニア へ 出兵 し 、 紀元前 45 年 3 月 ムンダ の 戦い で 元老 院 派 を 撃破 し て ラビエヌス は 戦死 、 小 ポンペイウス は 逃亡 途中 で 殺害 さ れ た 。
ガイウス・トレボニウス ( Gaius Trebonius , ? - 紀元前 43 年 ) は 、 共和 政 ローマ の 軍人 、 政治 家 。
カエサル は 強固 な ポンペイウス ( 及び 元老 院 派 ) の 地盤 で あっ た ヒスパニア 攻略 へ 向かう 予定 で あっ た が 、 マッシ リア の 反抗 により 後背 の 危険 が 生じ た こと から 、 マッシ リア を 包囲 攻略 す べく 、 デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス を 艦隊 総 司令 官 として 戦闘 指揮 を 一任 、 ガイウス・トレボニウス を 陸地 側 より 攻撃 する 部隊 の 司令 官 に 任じ 、 カエサル は ヒスパニア へ と 向かっ た 。
4 月 、 元老 院 派 の ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス ら が 立て 篭もっ て い た マッシ リア ( 現 : マルセイユ ) について は デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス と ガイウス・トレボニウス ら に 攻略 を 任せ て カエサル は ヒスパニア へ 向かっ た が 、 その 際 に 「 今 から 将軍 なき 軍隊 へ 向かい 、 然 る 後 に 軍隊 を 持た ない 将軍 へ 向かう 」 と 将兵 を 鼓舞 し た ( マッシ リア 包囲 戦 ) 。
また 、 ブリタンニア 軍 は レガトゥス ( 総督 代理 ) ガイウス・トレボニウス が 指揮 を 取る 食糧 徴発 部隊 の 3 個 軍団 を 攻撃 し た 、 しかし 、 ブリタンニア 軍 は ローマ 騎兵 部隊 に 撃退 さ れ 、 逃亡 する ブリタンニア 軍 を ローマ 軍 が 徹底 し て 追跡 し 、 ブリタンニア 人 の 多く を 討ち取っ た 。
紀元前 53 年 の 冬 を カエサル は ガリア・キサルピナ で 過ごし て い た が 、 カエサル の レガトゥス で あっ た ガイウス・トレボニウス は 、 コンミウス が 他 の ガ リア 部族 と共に ローマ 人 に対して 、 陰謀 を 企てる と 信じ た 。
また 、 ムティナ の 戦い で アントニウス ら と 戦っ た デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス は アントニウス 派 の 刺客 により 暗殺 さ れ 、 ガイウス・トレボニウス は ドラベッラ に アシア 属 州 で 殺害 さ れる など 、 マルクス・ブルトゥス と カッシウス 以外 の 各地 の 元老 院 派 および リベラトレス は 勢力 を 失い 、 結果 として 三 頭 政治 側 は ローマ 西方 地区 を 支配 下 へ 収め た 。