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なお 、 ヒッタイト 王 の 称号 は 、 ラバルナ で ある が 、 これ は 古 王国 の 初代 王 で ある ラバルナ 1 世 、 また 、 ラバルナ の 名 を 継承 し た ハットゥシリ 1 世 の 個人 名 に 由来 し 、 後 に ヒッタイト の 君主 号 として 定着 し た もの で ある 。

ヒッタイト 王国 を 建国 し 、 紀元前 1680 年 から 1650 年 頃 に 統治 し た ラバルナ 1 世 の 妃 タワナアンナ の 名 が そのまま 第 一 后妃 の 称号 と なっ た もの で ある 。

ラバルナ 1 世 ( Labarna I , ? ‐ 紀元前 1565 年頃 ) は 、 ヒッタイト の 大王 。

名前 と さ れる 「 ラバルナ 」 ( 「 タバルナ 」 と 読む 説 も ある ) も 、 本名 な の か 王 として の 称号 な の か も 不明 で ある 。

ただ のち の ヒッタイト 王 は 「 大王 」 という 意味 で 代々 「 ラバルナ 」 を 名乗る よう に なる 。

それ は ラバルナ の 文書 に は 冒頭 に 必ず 「 国土 は 小さかっ た 」 ( が 、 ラバルナ が 大きく し た ・ ・ ・ と 続く ) と 常套句 の よう に 告げ られる の に対し 、 ハットゥシリ の 文書 に は この 文句 が 見 られ ず 、 ラバルナ による 征服 の 結果 、 ハットゥシリ が 即位 し た 時 に は すでに 大きな 国土 を 得 て い た と 解釈 さ れ うる から で ある 。

ただし この 時代 について の 史料 は いずれ も 後世 の ヒッタイト 人 が 筆写 し た もの で ある ため 、 一人物 の 称号 で ある ラバルナ と 個人 名 で ある ハットゥシリ を 別々 の 人物 と 勘違い し た と する 説 も 捨て がたく 、 なお 議論 は 続く と 思わ れる 。

ラバルナ は 祖先 と 同じく { 仮 リンク | クッシャラ | en | Kussara } を 首都 と し て い た 。

ラバルナ は クッシャラ を 拠点 に フプシナ 、 { 仮 リンク | トゥワヌワ | de | Tuwanuwa }、 ネナッサ 、 { 仮 リンク | ランダ ( トルコ )| fr | Landa ( Turquie )| label = ランダ }、 ザッララ 、 プルシュアンダ 、 ルスナ を 征服 し 、 それぞれ に 自分 の 息子 を 支配 者 として 送り込ん だ と いう 。

紀元前 1565 年 頃 に ラバルナ は 死去 し 、 王妃 タワナンナ の いとこ で ある ハットゥシリ 1 世 が 跡 を 継い だ と いう 。

上記 の 通り ラバルナ に は 7 人 の 息子 が い た と 記録 さ れ て いる ため 、 この 継承 は 異様 な 背景 を 思わ せる 。

ハットゥシリ は 先代 ラバルナ 1 世 の 王妃 タワナンナ の 親類 あるいは 従兄弟 と いわ れ て いる が 、 その 素性 は 定か で は ない 。

紀元前 1565 年 頃 に 王位 に つき 、 のち の 大王 たち が そうした よう に 「 ラバルナ 」 を 名乗っ た 。

この ため 彼 を 「 ラバルナ 2 世 」 と 呼ぶ こと も ある 。

ラバルナ 1 世 に 実子 が い た と 思わ れる こと から 、 この 継承 に は 何らかの 異常 事態 が 背景 に あっ た こと は 否定 でき ない 。

彼 は この 町 に 因ん で その 名 を 「 ハットゥシリ 」 に 改め た ( つまり 「 ラバルナ 2 世 」 を 名乗る 前 の 本名 は 別に ある ) 。

ヒッタイト 王国 を 建国 し た の は 、 ハットゥシャ の 南北 の 地域 を 征服 し た ラバルナ 1 世 あるいは ハットゥシリ 1 世 の いずれ か と さ れ て いる ( これら が 同 一人物 で は ない か と する 論争 も ある ) 。